後ろ向きの耳
最近、夜散歩をしていると、電気もつけずベルも鳴らさずに、いきなり闇の中から追い越してゆく通り魔のような自転車に驚かされる。
近づいてくる音もしないので、こちらとしては避ける態勢を取る暇もないが、連れていた犬はそれでも聞き取っているらしく、落ち着いていたものである。
人間の耳は横についていて、横の音が一番とらえ易い。前方向もキャッチできるが、前は音に頼るよりも目で見て状況を理解したほうが早い。耳たぶは何故か、後方音を遮断するように付いていて、後ろからの音にはめっぽう弱い。犬、猫などのピクピクとよく動く耳を見ていると、微妙に方向転換する集音センサーとして、実に優秀なものをもっているなあと感心する。それに比べると人間の耳は固定型で、たいそう不便に出来ている。
「聞く耳持たない」とか「右から左に聞き流す」「小耳にはさむ」などの言い回しは、耳の機能に託して人間の生態をついているようで面白い。
だいたい、人は正面からの声に対しては、しっかりと聞こうとする。もしくは聞いている格好をつける。親や上役、先輩など目上に対しては、耳は聞く構造になっている。時には、叱責など聞かざるを得ない場合は、右から左に通過しないように、脳が適当に処理してくれる。横というのは同輩、友達の類で、構えなくても自然に入ってくるので、素直に聞ける。「部長はああ言ってるけれど、本当は裏事情があってね」という類の同僚の言葉こそが信用されやすいのである。自分より後ろ、つまり妻子とか、部下とか後輩などの言葉は、構造上、聞こえ難い。
人は優越した立場になると、他人の言うことは聞こえなくなるのである。「あの人は人の言う事をちっとも聞かない」と言う尊大、傲慢な態度は、その人の罪でなく、聞こえないように作られた耳が悪いのである!?
年が行くと若い頃の棘や角が取れて、世の中のたいていの事に気を荒げることなく、素直にひとまず肯定してかかる態度になる。これを古人は六十歳と区切りをつけて、耳順と名づけたが、訓読みでは「ミミシタガウ」とした。この読み方を定めた人は、若い頃、世間のしきたりに反発したり、自我が強くて、ことごとに衝突したりして、さんざん苦い経験をした人に違いない。
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