浦上玉堂(うらがみ ぎょくどう)
岡山に浦上玉堂という人がいた。
山田方谷が生まれた頃死んでいるから、両者の間に交流は無かったが、すぐ隣の藩ということでかなり影響を受けたのではないかと思われる。
陽明学者と分類する向きもあるが、本業はミュージシャン(琴の奏者)で鴨方藩大目付という重職にあったが、50歳で子供2人を連れて脱藩、水墨画を書いたり琴を弾いて各地を放浪した。
「東雲篩雪図(とううんしせつず)」(国宝)は、川端康成がペンが走らない時に凝視していた絵だという。
琴の名手で詩人としても一流、絵は国宝という才人だが、脱藩という命がけの異常な行為に及ぶ裏、正気と狂気の間に何があったのか?興味の尽きない人物である。
国宝「東雲篩雪図」