【映画感想74】ブルース・ブラザース2000/ジョン・ランディス(1998)
ブルース・ブラザーズから19年後に公開された続編を見ました。
前作の公開後にジェイク役のジョン・ベルーシは亡くなったそうで、映画の冒頭も相棒のジェイクの訃報を聞いたエルウッドのシーンからはじまります。
前作↓
見覚えのある人や展開なのに全体的にパワーアップしていていて、訃報にしんみりする間もなく最初に出てくるシスター棒のSEに声出して笑ってしまいました。もはやおしおきじゃなくて「制裁」。笑
ストーリーについて、前作では教会を救うという目的があったのに対して「今作はめちゃめちゃ豪華だけどストーリーの中身はあまりない」という感想をみたのですがわたしはちょっと違うのではないかと思います。
まず終盤の教会のシーンを見て、実はバスターが不在でもこの映画はストーリーが成立してしまうことに気づいてちょっとあれ??と思いました。(教会のシーンで当初の「兄弟を得る」「またバンドを組む」という冒頭の目的を回収しているので)
バスターの役割は新バディとしてではなく、何か別の意味があるんだろうかと思ったところで思い出したのがこの間みた「プラットフォーム」
キリスト教圏の映画では子供と妊婦は死なない傾向にある、と古典ホラーの上映会で聞いたことがあるのですが、思想と宗教色の概念でできたようなこの映画も明らかに子供が「最期の希望」のメタファーのような立ち位置でした。
つまりはアジア圏とキリスト教圏の国では物語の中での「子供」が持つイメージに差があるんじゃないかと思っていて、バスターが子供であるのもモチーフとして物語に「子供」が必要があったからなんじゃないかなという深読みをちょっとしています。
大人×子供のバディものといえばお互いの心の成長が見どころになるんだけれどエルウッドは良くも悪くも他人の影響で変わるようなキャラクターではなく、また「子供のほうが絵的にいい感じだから」という理由だけでここまで豪華なミュージシャン勢のカットを削ってまでバスターのカットを演奏シーンにいれるのはちょっと考えづらいからです。
あとネタとはいえ「神の啓示」という要素がはいってるので、なにかしらのキリスト教的な価値観が脚本にはいっててもおかしくはないかなとも思います。
作中の倫理観は割と崩壊していますが
そういえば道中で奇跡を起こし、仲間を増やして池を渡り嵐を起こして約束の地に向かうのって聖書と同じですね。でもブルース・ブラザーズは極悪人なので原罪を背負わずに車で逃走するという。笑
作中すべての演奏シーンでバスターはステップを踏み、いろんなミュージシャンの音楽を身体にとりこんでいく。
そしておそらくその後も旅を続けていく。
いずれ彼らが彼ら自身の音楽を道連れにこの世を去ってしまっても、その音楽を取り込んだ存在が次の世代を生きていくのは箱舟のようだと感じます。
豪華な大御所ミュージシャンや前作を凌ぐ怒涛のギャグ展開に目がいってしまうけれど、
作品の根底には世を去ったミュージシャンへの追悼と、彼らがいなくなっても魂は引き継がれていくのだという希望と祈りが込められてるんじゃないかなあと思いました。
音楽好きな人がみてこそ楽しい映画だと思うのですが、わたしはこの映画がきっかけでいろいろ聴けそうなので楽しいです。
とりあえずKoko Taylorが気になって検索したらメチャかっこいいーーー!
追記
この映画、撮影後の関係者の試写会とか打ち上げ絶対たのしかっただろうな〜