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私とフィンランドのそもそもの話 その3
かなり前になるが、なぜ私がフィンランドについて発信しているのか、なぜ私がフィンランド語を話せるのかを書いてた。今日はその続き。
フィンランドの現地の高校で
私が通っていたロヴァニエミの高校はには国際バカロレアのコースがあり、留学当初はバカロレアの方で英語で授業を受けていた。しかし、クリスマス以降フィンランド語しか使わなくなり、授業もフィンランド語で教えられるものを増やしていった。
他にも学校では、先生に頼まれて全校朝礼で日本文化についてフィンランド語でプレゼンテーションをした。国際交流デイにはすき焼き肉を振舞って男子に大好評だったのは面白かった。校長先生に呼ばれて部屋に行くと、日本からの教育視察の人のガイドを頼まれたことも印象的だった。
そして一年の最後には、「積極的にフィンランドを学んだ一番の留学生」として校長先生の奨学金(特別賞)をもらったのはとっても嬉しい出来事だった。50€と手書きのメッセージにはこう書いてあった。
なるみへ
あなたは柔軟で勇敢です。新しい文化に対して自らを開き、さらに自国の文化についても理解を深めましたね。
ありがとう。校長
11ヶ月のフィンランド語の成果
帰国前、留学の締めくくりにフィンランド語検定初級を受験し、最高スコアで合格。ホストファミリーたちが誇らしそうにしてくれたのが嬉しかった。
「語学学校に通っていたんですか?」「日本でも勉強して行ったんですか?」「ずっと覚えているのは勉強を継続しているからですか?」と聞かれる事がある。全てnoなのだ。(勉強は継続した方がいい。)11ヶ月でここまでフィンランド語ができるようになったのは、毎日文法をコツコツ勉強し、これはなんて言うの?とたくさん質問をして、たくさん話をしたからだ。この積み重ねの密度が、10年が経とうとしている今でもフィンランド語を忘れずにいられている理由だと思う。
第二の地元的存在
以降、フィンランドを訪れるときは「帰省」の気分だ。家族に会いにいくのが一番の目的になる。だから私は旅行でフィンランドを訪れたことがない、そんなつもりでいる。同時にフィンランドのことを「夢の国だ」「幸福の国だ」とも思ったことがない。noteではキラキラとした側面が引き立つように書くことが多いが、実は私の中では常にそこにあるひとつの「居場所」という意識が良くも悪くもある。
「やっぱり永住したいですか?」と聞かれるときも「んやーそんなこともないですね」と冷めた返事をついしてしまうのは許してほしい。だって地元ってそういう感情の外にある場所だと思うから。
ただ、そんな私だからこそ見えたり、書けたりすることがあると信じたいので、フィンランドと縁を結んだ者として、これからもアレコレやって行けたらと思う。
明日で連続投稿100日。何を書こうかなぁ。