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私とフィンランドのそもそもの話 その2
フィンランドに高校留学することが決まり、担当者から連絡がきた。
「君が行くのはロヴァニエミだよ!」
ロヴァニエミはラップランドにある観光都市だ。サンタクロース村があって、トナカイがいて、オーロラが見えて、白夜と極夜があって、北極圏に接している、そんなフィンランドドリームを煮詰めたような北の街。
「どこに住むんだろう?ラップランドだったりして〜」
『えーそれは流石にないでしょ〜笑』
冗談のつもりが、本当にロヴァニエミに住むことになったから当時はとにかく驚いた。
雪国の暮らしが少し心配になったりもしたが、「せっかくのフィンランド留学を最もフィンランド濃度が濃い街で送れるなんて、絶対おもろいやん!」と大阪人の度胸が最終的には勝利した。
渡航3週間前に足を骨折したりと、いろいろなトラブルもありながら、2014年8月に無事フィンランドへ。到着後の研修を終えて、ロヴァニエミまでは10時間の電車の旅だった。
最高のホストファミリー
私のホストファミリーは、留学から10年近く経つ今でも、フィンランドに行くときにはいつでも歓迎してくれる。私の留学は、このホストファミリーたちに恵まれたことがなによりの幸運だった。
そして特に、一番目のホストファミリーのお父さんの存在は、私の留学に大きな影響を与えた。
そのお父さんは英語がほとんど話せなかったのだ。
なぜフィンランド語を話せるのか
そのフィンランド語しか話せないお父さんは、とにかく優しかった。常に楽しいことや、新しいことを見せてくれ、私が快適に過ごせるように最善を用意してくれた。
ただ、お互いスムーズな意思疎通ができないことはとても歯がゆかった。こんなに親切にしてくれているのに、その優しさが半分も理解できないなんて。
このお父さんと話せるようになること、それがフィンランド語の習得の大きなモチベーションになった。
クリスマス以降は一切英語を話さないと決めた。
日本ではフィンランド語を学べる機会もあまりなく、ほとんどゼロからのスタートだった。
紐をつけたノートとペンを首から下げて、新しい言葉は全てメモした。単語カードをつくってホストのお父さんと繰り返し練習。文法の教科書を開いて高校の友達に「なんでコレはこう言うの?」と訊いて困らせたりもした。夜はテレビを見ながら時事の話や文化の話をホストのお母さんと英語とフィンランド語を混ぜて議論した。
ただの音の羅列だったものが、段々と意味を持つようになるのは面白かった。クリスマスの後、私はフィンランド語だけで生活できるようになった。
つづく!
# 私がステイしたホストファミリーの娘さんが、私の日本の家にステイした。文字通りの「交換留学」は実はレアらしい。このマッチングも奇跡的な相性で本当にラッキーだった。