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「景の海のアペイリア」感想

生きている人、いますか?

お疲れ様です。とりぞーです。

そろそろ年末年始が近づいてきました。

クリスマス前に1本なにをやろうかと考え、
季節感のなさそうな作品を選びました(笑

◇基本情報


・ブランド シルキーズプラスDOLCE
・発売日  2017年07月
・ジャンル SF
・分岐形式 単線型

◇パッケージ

・商品名称 景の海のアペイリア
・購入形態 DL販売(FANZA)
・購入価格 2,000円(税込)※3本6,000円キャンペーン対象
・同梱特典 なし

◇傾向

長 ★★★☆☆  ※定価に対するテキスト量
重 ★★★★☆  ※精神的なしんどさ
熱 ★★★☆☆  ※燃える展開の有無
楽 ★★☆☆☆  ※ギャグの冴え
泣 ★★★☆☆  ※全米が泣くか
感 ★★★★☆  ※余韻を感じるか
難 ★★★★☆  ※頭が良い人向け
新 ★★☆☆☆  ※斬新さがあるか
エ ★★★☆☆  ※濡れ場の数・文章量・CG数
幸 ★★★★☆  ※ハッピーエン度

◇推奨攻略順

三和→ましろ→久遠→アペイリア

※全ルート固定。
※バックジャンプ不可なので、こまめなセーブを推奨。

◇プレイ前の印象


 2021年9月、「ふゆから、くるる。」という美少女ゲームが発売されました。面白そうな作品だなぁと遠目に見ながら、でもシリーズの最終作らしいということで、今更追いかけられないなぁと見送るしかなかった、私の中では苦い記憶です。
 さて、この「ふゆから、くるる。」はシルキーズプラス(以下シルプラ)というブランドから出された作品です。もともとはすみっこソフトで渡辺僚一さんが書き続けてきたSF四季シリーズの最終作だけが、大人の事情により別ブランドからリリースされた形なので、この作品は純粋にシルプラの業績であるとは言えないと思います。しかし見方を変えれば、このシリーズの最終作品を出すにふさわしいと見込まれたのがシルプラであった、とも言えるでしょう。
 何が言いたいのかというと、シルプラにはSFが強いというイメージがあるということです。そして私は、そのイメージだけを持ちながらも、これまでシルプラ作品を未履修でありました。そこに着手したいという想いが、「ふゆから、くるる。」という作品の発売によって高められていたということです。

 では次はどの作品をやろうかというところですが、そこは知名度・評価ともに最も高く、代表作と言って過言ではなかろう「景の海のアペイリア」を選ぶに否やはありませんでした。
 かねてより目をつけていたこの作品。中古ショップを巡るたびに、棚から探し出して値段をチェックしようとするのですが、毎度毎度、とにかく見つからない。なぜか?それは”景”という文字の読み方を毎回忘れてしまうからでした。
 タイトル五十音順で並び立つ陳列棚の中で、まず”ケ”のプレートを探し当然なく、スマホで検索して”カ”のプレートを探してそれでもなく、作品のサイトからルビのある作品名を見つけ出してようやく”ヒ”を探してやった手に取ることができる。そんな遠回りを1月ごとに繰り返していたような気がします。
 めんどくさい名前にしやがって、と苛立ちつつも、しかしこんな厄介な名前をつけたってのは絶対わざとだろう、という思いもありました。対極に位置する二つの意味が、一つの言葉の中に同時存在している。そんな奇妙な文字に込められた想いとはどんなものだろうかと、いつしか食指がのたうち回っておりました。

 さてシルプラと言えば、プレイしたことのないSF作品のイメージよりも、elfスタッフによる看板替えブランドというが印象もあって、その方面からも惹かれてやまない魅力がありました。
 これは誰かが言っていた話ではなく、完全に個人的な印象なのでご理解を頂けるかは全くわからないですが、ゲームを立ち上げた時のタイトル画面のBGMや画面演出がなんとも”静か”であるのが、なんともらしいなと感じいってしまったのであります。
 通常はアップテンポなオープニング曲のインストを流すなど、”つかみ”としてプレイヤーの心を引き付ける重要なパートだと思うのですが、積上げた歴史や作り上げたものへの自信なのか、まぁゆったりと余裕のある開始画面で、あまりガツガツしていないところも好印象でした。

◇プレイ後の印象(ネタバレ控えめ)

 主人公がもの凄くPCに強くて…   (AIとまかな?)
 優しいんだけどひどくスケベで…(AIとまかな?)
 落雷が原因でヒロインが現れ…    (AIとまかな?)
 そのヒロインは実体化したAIで…(AIとまかな?)
 主人公の必殺技は射精(景の海のアペイリアだ!!!!!)

 というわけで、最初は赤松健さんがシナリオ書いてるのかと勘違いするほどに「AIが止まらない」みに溢れた導入でしたが、すぐに方向性が変わってくれて安心しました。
 プレイしてみた率直な感想として、期待通りのSF色に溢れる展開にワクワクしながら、一方であまりに説明的な量子力学の解説にうんざりする部分もありました。…前もって宣言しておきますが、量子力学について説明するパートはほぼ全てスキップしましたので、私はこの作品世界について理論的にありえるだとかありえないだとかリアリティがあるだとかないだとか(リアリティ!笑)その手の話には関わりたくありませんのでその旨よろしくお願いします。

 さて、私はこの作品に、なにより”斬新さ”を期待しておりました。
 というのも日夜ergについて研究を重ねる中で、この作品に言及しているブログなども目に入ってきており、その中で体力ゲージの記載されたキャプチャ画面を見て少し驚いた記憶がありました。アクション要素や格ゲー要素のあるような作品ならまだしも、ADVでこれは目新しい何かがあるのではないかと昂ぶり、ネタバレを回避するために以降は意図的にこの作品についての情報を避けるようになりました。そういう意味では、期待を裏切られたという感触の残る残念さはあります。逆に目新しさは一切なかったと嘯いても過言ではないような気もしないでもありませんでした。
 プレイ後に様々な感想を調べる中で、この作品を「シュタゲ+SAO+ぬきたし」だと分析している人がいました。少々大雑把に過ぎる分類のやり方だとは思いますが、それでも言わんとしていることはわかる気がします。つまりこの作品は(具体的な作品はどれであれ)、世にある作品のツギハギによって成り立っているということです。後述しますが今となってはそれもまた意図的な企みであったのかもしれません。しかし少なくとも私がこの作品に抱いた期待は盛大な肩透かしだったというのも、ひとつの真実でありました。


◇とりぞーのお考え(あっさり)


 結局この作品なにがやりたかったんだろうか、とか、面白いシナリオゲーだと絶賛している人たちは何に感銘を受けていたんだろうか、なんてことを考えていました。
 出た結論は、主人公を物語の中で虚構化することによって、逆説的にプレイヤーを物語の中に取り込む、という部分なんだろうといったところでした。
 つきつめていくと物語の価値というのは、どれほど読み手の位相に迫れるかであるという側面は、正解の中のひとつとして確実にあると思います。(現実を)体験するということと、(物語られたものを)追体験するということは、致命的に異なる行為なのです。この境界に横たわる断絶を、どうすれば埋めることができるのか。真摯な物語の作り手たちがかつてあの手この手で試み、それは物語のひとつの時代の潮流であったこともありました。
 そういう意味で”シュミレーション仮説”というアイデアの援用は、これを最も簡単に正当化し為し得るチート的な設定だと言えるでしょう。つまり、”現実が虚構であるのなら、虚構は現実足り得る”というトートロジックな真理が、いとも容易く手に入るからです。
 もしこの物語がそれだけのお話であったなら、味気ない印象のままに評価せざるを得なかったでしょう。しかしこの作品の醍醐味は、虚構的な存在にその自覚を持たせたまま虚構の現実を生きる意志を発芽させたロマンティシズムにあったように思います。
 物語の登場人物に命を吹き込むということ。繰り返しますがそれは、物語を作る者の究極的な理想の極点のひとつであるとも言えるでしょう。しかしそのためには、命を吹き込む対象が作り物でなければなりません。「零一」という主人公の名前は、その存在が0と1の集積によって成立するAIという虚構的な存在であるということを、わかりやすく(バレバレで草)表現していました。
 あまりに中身のない下ネタ・ギャグによるテキストの嵩増しや、ひどく記号化されたヒロイン達のキャラクター性、既存の世界のそこらじゅうに転がっている物語の特徴を乱雑に組み合わせただけのようにさえ感じるツギハギだらけの世界像。しかしそれこそが、この物語の中の世界が虚構の中の虚構であるということを、何より雄弁に語っていたのではないか。プレイを終えた今となってはそう解釈してあげても良いような気がするのであります。 
 だからこそ、サムネにも採用したシンカーという存在の最期が際立ったのであるし、クソみたいなハーレムの未来へと進んでいくクソみたいな主人公ヒロイン達のクソみたいな物語の結末が、(アペイリアの大好きな)カレーのように美味しそうな匂いをラストに漂わせたのではないでしょうか。

 ではまたノシ


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