「Summer Pockets REFLECTION BLUE」感想
生きている人、いますか?
お疲れ様です。とりぞーです。
前回の投稿から少し時間があきましたが、こんなものですよね?
いざ。
◇基本情報
・ブランド Key
・発売日 2020年06月
・ジャンル SF
・分岐形式 箒型(制限あり)
◇パッケージ
・商品名称 Summer Pockets REFLECTION BLUE 初回限定版
・購入形態 店売(ソフマップ)※中古
・購入価格 7,898円(税込)
・同梱特典 アレンジアルバム(8曲収録、ボーカルありはアスタロアのみ)・ラジオCD「鳴瀬家の食卓」(1時間12分。白石稔・ファイルーズあい・小原好美)・観光日誌vol.2(フルカラー64ページ、担当絵師情報あり)・ポストカード(カラー、しろは・のみき)
◇傾向
長 ★★★★☆ ※価格に対するテキスト量
重 ★★★☆☆ ※精神的なしんどさ
熱 ★★★☆☆ ※燃える展開の有無
楽 ★★★★☆ ※ギャグの冴え
泣 ★★★★☆ ※全米が泣くかどうか
感 ★★★★★ ※余韻を感じるか
難 ★★★★☆ ※頭が良い人向け
新 ★★★☆☆ ※斬新さがあるか
エ ★☆☆☆☆ ※濡れ場の数・テキスト量・CG枚数
幸 ★★★★★ ※ハッピーエンドであるか
◇推奨攻略順
蒼→紬→静久→のみき→識→鴎→しろは→うみ→ALKA→Pockets
※RBでの追加ルートは静久・のみき・識・うみ
※うみ・ALKA・Pocketsはラスト固定
※個別ルートの中では鴎・識が強め
※分岐形式はマップでのキャラ選択ですが、様々な理由から攻略サイト参照を推奨します。
◇プレイ前の印象
2018年に無印発売、2020年にRB発売。コンテンツが世に出てから3年が経った今更?と思われる方も多いでしょう。なぜ今なのかというと、それは私がずっと待っていたからです。何をかって?もちろん値段が落ちることをです!(キリッ)
keyファンの方々には大変申し訳ございません。いつの頃からか私は”key”というブランドに対して大きな偏見を抱くようになっておりました。なんでそうなってしまったのか。今となってははっきりとはわかりません。
かつてこの世界に足を踏み入れたときには既にそこにあり、燦然と輝いていた(「ONE」)「kanon」「AIR」という金字塔的な作品。お昼休みの購買のパンのお供には必ずパックのフルーツ牛乳を選び、部活帰りにたい焼きを購入しひと口食べるごとに「うぐぅ…」と呻いていたあの頃。それは私の青春でありました。
そして2004年「CLANNAD」発売。私と当時の仲間達の間では大事件でした。お年玉をはたいてネット通販で購入。もちろんクレカなんて持っていませんでしたから支払いは代引きで。配達員を玄関で今や遅しと待ったものでした。配達遅延のせいで親バレして商品を見せなければならなかった時、当時にしては珍しい全年齢作品であったことに心底感謝しました。そんな困難を乗り越えてプレイした後の感動はとてつもなく大きいもので、私のしょっぱい人生にも大きな影響を与えた甘い思い出となったのです。
しかし子供の心は移ろい易いもの。やがて小説や映画の世界にのめりこむようになり、次第にノベルゲームへ触れる時間は少なくなっていきました。それでも”key”の新作と聞けばプレイしていたのですが、「リトルバスターズ」をプレイする頃にはあまりの冗長さに苦痛を感じるようになっていました。その後の「Rewrite」は敬愛するライターである田中ロミオ氏やかの有名な竜騎士07氏との共作ということで期待を膨らませて購入したのですが、最後までやり遂げることさえできませんでした。
そして私は思ったのです。「私とkeyの歩く道は、いつの間にか分かれてしまっていたのだ」と。なぜでしょう。その時の私はスッキリとした気持ちでした。例えるならそれは、カラスになった往人が美鈴と晴子を見届けるような気持ちだったのかもしれません。青春とはいつまでも続くものではないのです。永遠はないのです。それは、リトバスのキャラ達が閉じ籠った虚構の夏に寄り添えなくなった時点できっと、私の中から失われてしまっていたのだと。心からそれを認めることができたのでした。
やがて大学生になり、社会人になり、私はいつの間にかオタクですらなくなってしまっていました。しかし、ひょんなきっかけからアニメオタクとしてオタクの世界に戻ってきたのです(この辺の詳細は割愛)。他界してから実に10年近い時が流れていました。
ちょうどその頃に業界を席巻していたのが「Summer Pockets」だったのですが、私は当初、話題沸騰のこの作品に見向きもしませんでした。なぜならもうkeyの作品は二度とやるまい、と心に決めていたからです。私の青春はもう終わってしまったのですから。
オタクに戻って真っ先に感じたのは「keyが物凄く有名になっている」という異変でした。驚きでした。大好きだった実家の近所の美味しいラーメン店がいつの間にか全国チェーン展開していて、ある日前触れなくコンビニの棚にそのラーメン屋の大将の写真が印刷されたカップ麺が売っているのを見つけたらこんな気持ちになるのでしょうか。
まるでカップ麺を買って食べるがごとく、ライトな気持ちで「AB!」「Charlotte」「CLANNAD」のアニメに手を出しました。しかし、昔感じた胸の高鳴りを覚えることはありませんでした。アニメーション的な見せ方や演出技法等に感心した部分はあったものの、そこにあったのは私がかつて失った青春とは違うものであったように感じました。
そんな私がなぜサマポケをプレイしようと考えたのか。振り返って考えるとそれはただの“見栄”だったように思います。つまり、サマポケがアニメ化した時に、いや、“アニメ化することが決定した時”に、サマポケをプレイしていない自分であることがやはり許せなかったのです。
そしてその特報は、おそらくそう遠くない未来に現実のものとなるだろうという予感がありました。2021年秋、現在絶賛放映中のショートアニメ「かぎなど」がその呼び水となりそうな空気感。原作を原作としてのみ楽しめる夏が、今年で最後になるのではないかと、そんな危機感が私にプレイを決めさせたのでした。
だったら発売した時にやればよかったのに、と思われるかもしれません。しかし今の私にその熱意はありませんでした。どういうことか。話は冒頭に戻ります。正直に言いましょう。熱意は銭で測れるのです。
一般評価の高い作品、特にそれが有名ブランドであればなおさら、流通量が多くとも中古販売価格はなかなか落ちないものです。待てど暮らせど下がらない値札に何度売場から颯爽と踵を返したかわかりません。しかしこの夏、某量販店に大量入荷した本作の値札を見て、ここらが潮目かなと判断しました。アニメ化が決まってまた高騰する前に皆さまもいかがでしょうか?
◇プレイ後の印象(ネタバレ控えめ)
何より麻枝准の書かないkey作品が、想像以上にkey作品していて驚きました。とはいえ企画はこの方によるものであるということで、終盤は麻枝臭がプンプンでしたが、共通ルートや各ヒロインの個別シナリオがkeyのノリと自然に融合していた部分に、安泰なブランドの未来を感じ取りました。
特に私は新島夕さんのシナリオを推しているので、“迷い橘”というファンタジー部分の象徴となるような存在や、“七影蝶”という人の想いを視覚化した存在には、「ナツユメナギサ」の世界観を思い出さずにはいられませんでした。さらに鴎ルートには、これぞ新島作品だ!というような魅力が感じられました。彼がずっと追い求めている(と勝手に私が考えている)“物語(フィクション)を通して受け手に何かを伝えるということの不可能性への絶望と可能性への希望”を、こうも理解しやすい設定の中で登場人物に想いを託し表現しきってみせたシナリオには感無量でした。
他のシナリオにも言えることですが、それぞれライターの個性が発揮されながらも、それがkey的な世界観を壊していないのがとても素晴らしいと感じました。それは劇伴の面でも同様だったように思います。昔ながらの折戸サウンドに、圧倒的な個性を放つ水月サウンドが溶け込み、それでいて喧嘩せず調和を保っている面白さがありました。
それでいて、グランドルート以降はしっかりと麻枝准だったのも、今は良かったのだと思います。うみというヒロインが徐々に人間性を失っていく姿はあたかも「kanon」の真琴ルートでしたし、ラストにキリストばりの復活劇を演出する胎児のポーズで眠る一枚絵は「CLANNAD」のクリア後のタイトル画面を明らかに意識した構図でした。これを経ての“おはよう”の威力たるや…
あの、どうしても手放しでハッピーエンドとは喜ばせてくれないkey作品達のラスト。個人的にはそれはそれで良いとも思うのだけれど、異なるアプローチから救われるエンディングを見せてもらったような幸福感を得ることができました。それはまぎれもなく、私がかつて失った青春の続きでありました。
◇とりぞーのお考え(あっさり)
タイトルの回収が素晴らしかったなぁと思います。数多の夏の思い出たち。色んな人の色んな想いが詰まっている。そこには私たち、プレイヤーひとりひとりの記憶や想いも含まれていて。何の価値もない、大切な宝物。その置き場として、物理と心理の二重に意味を持つ“pocket”。複数形なのがたまりませんね。
主人公が島を訪れた理由である“祖母の遺品整理”。選び取られた最後の一つの未来において、主人公は他の全ての可能性を投げうって整理をやり遂げます。それは、過去に選び今回は選ばなかった各ヒロインのルートのひとつひとつが、プレイヤーのなかで物語の結末に向けて整然と収まっていく様子を示していたのかもしれません。
ところで、驚きだったのが鏡子さんの存在でした。本文中では明言されていませんが、明らかに彼女は、この作品に纏わる全ての事情を知り、全ての√を経験していた、極めて”作者”(あるいは”読者”)に近い立ち位置にある存在だったと言えるでしょう。
存在しないはずのうみを嘘の理由を作ってまで居候させていた理由、頑なに主人公に遺品整理を手伝わせなかった不自然さ、苗字が変わっていることから示唆される(亡き)夫の存在、年齢を感じさせない(時の流れの中にいない)容姿。全ての細かい伏線が彼女の背負った過去を暗示し、これを開示したグランドルートエピローグで羽依里もろとも救済してみせるカタルシス。
彼女の存在によって、これまでのkey作品の全てのヒロイン達が脳裏をよぎり、脈々と受け継がれてきた悲哀の系譜、輪廻が断ち切られたように思えたのでありました。またシビれるのはその名前、鏡の子。さながら彼女は全ての報われなかったkeyのヒロイン達を映し出した鏡のような存在だったのでしょう。
さて、各ヒロインの魅力や個別ルートのストーリーには全く触れておらず大変申し訳ないですが、そろそろお開きと致します。私がこの作品をクリアして心に響いたのは、各ヒロインの可愛さや感動的なストーリーというよりも、かつて追いかけたkeyというブランドの輝きが、それを支える哲学が、今なお連綿と受け継がれているということを思い知らせてくれた部分だったのでした。
永遠はあるよ。
ではまたノシ