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スクーター

高校一年生の時は、吹奏楽部と合唱部を兼任した音楽部に入っていたから、結構真面目に忙しく、高校生活を送っていた。
吹奏楽ではクラリネット担当で、合唱ではアルト担当だった。

音楽がやりたかったわけではなく、成り行きで入っただけだったから、だんだん嫌になって、高1の冬に友達と一緒に部活を辞めた。
学生時代って、なんであんなにも、一個上や二個上の先輩が絶対的存在なんだろう。
辞めたいことを先輩に伝えると、先輩全員がいる教室に呼ばれて、延々といろいろ言われた。内容は全く覚えていないけど。
音楽部でこうだったんだから、運動部はどんなだったのかな。

めでたく部活を辞めると、電気部品工場でアルバイトを始めた。
アルバイトは禁止だから、学校にはもちろん内緒だ。
当時の時給は、450円くらいだった。

高校もアルバイトも、自転車で通っていた。
家から高校までは、山を越えて一時間近くかかっていた。
私の自転車は、中学に入るときに、父の知り合いの自転車屋で買ってもらったものだった。中学時代も自転車通学だった。
中学生になる少し前に、父に呼ばれた自転車屋さんが家に来て、両親と一緒にパンフレットを見た。
誰にでも偉そうな父は、自転車屋さんにももちろん偉そうだった。
たぶん自分でその自転車を選んだはずだけど、ピカピカの自転車が届いたとき、ちっとも嬉しくなかった。
緑色で26インチで、すごく大きく見えた。
なんだかおばさんくさい自転車だった。
何でその色のその自転車にしたのか、後悔した。

高校生になると、ますます自転車が恥ずかしくなった。
友達の自転車がかっこよくておしゃれに見えた。
壊れてもいないのに、新しい自転車を買ってほしいとは言えなかったから、
アルバイト代で自転車を買った。
自分で働いたお金で大きなものを買ったのは初めてで、すごく嬉しかった。
白くて小さい24インチのかわいい自転車になってからは、往復2時間の山を越えていくしんどい通学も、ちょっと楽しくなった。
あの頃、小さいインチの赤や黒や白の自転車が流行っていたような気がする。
婆ちゃんが、自分で買ってえらいな~と言ってくれたのを覚えている。



中学も高校も一緒のあおべの家に、学校帰りにそのまま白い自転車を漕いで遊びに行った。
あおべの家には部活を辞めてから、何度か遊びに行っていた。
中学生の時は女子も男子も幼すぎて、一緒に遊ぶことなんかなかったけど、高校生になると、帰り道が一緒になった男子と話しながら帰ったり、男子の恋の相談に乗ったり、たまに男子の家に集まって遊ぶようになっていた。

あおべは、文化のない私の家では考えられないくらい、豊かな生活をしていた。
あおべの家は町の和菓子屋さんで、自分の部屋にテレビもステレオもビデオデッキもファミコンもあった。
なんでもあるから、男子がよく集まっていた。
風の谷のナウシカを初めて観たのは、あおべの部屋だったな。

その日はみんなで外に出た。
部活もやらずに友達の家に集まっている男子が真面目なわけもなく、みんな原付の免許を取って、スクーターに乗っていた。

だれかに、”乗ってみなよ”と言われたから、乗ってみたんだと思う。
あおべの家の裏の川沿いの道で、スクーターにまたがった。
男子たちが、運転の仕方を教えてくれた。
男子というものは、女子に"教える"ことが好きみたいだ。

スクーターの運転は、とても簡単だった。
自転車よりもずっと簡単だった。
運転が面白くて、風が気持ちよくて、一緒にいた女友達と交代で、川沿いの道をスクーターで行ったり来たりした。
男子は、こんな気持ちいい乗り物に乗っていたのか。

スクーターの虜になった私は、原付免許が欲しいと母に言った。
すんなりいいよと言われ、数日後、学校をさぼって原付免許を取りに行った。試験に受かって免許がもらえた。

免許がもらえると、なぜか父親がはしゃいで、頼んでもいないのにバイク探しを始めた。
あちこち電話して、叔父のスクーターをもらえることになった。
バイクが決まると、ヘルメット屋にも連れていかれた。
私の希望とか、都合はお構いなしだ。
でも、ヘルメットは好きなものを選ばせてくれた。
どれを選ぶのが正解なのかわからず、迷った末に、ピンクのジェットヘルを選んでしまった。

父と一緒に叔父の家にバイクをもらいに行くと、友達が乗っていたジョグとかタクトではなかったけど、赤くて華奢なスカイというスクーターだった。

一日三本のバスに乗るか、自転車を漕がないとどこも行けなかったのに、夜でもいつでも友達の家に自由に行けるようになり、私は少し悪い高校生になっていった。
友達を後ろに乗せて走ったり、自転車を漕ぐ友達や後輩に会うと、背中に手を添えて、けん引もよくした。

私は、どこにでも行ける。スクーターで。
今までよりずっと自由になれた気がして、すこし大人になったような気持ちになった。


高3になると、スクーターに乗っていた男子は、誕生日の順に次々と車の免許を取って運転するようになった。
高校の卒業式の日、あおべの家の車と誰かの車で、みんなで海に行った。
友達と海に行くのは初めてだった。
どんよりした寒い夕方の海だった。
また世界が広がったような気がしたけど、少しだけさみしかった。
同級生と朝まで遊んだのは、この日が最後だった。

三月の終わり、段ボール箱一個の衣類と布団一組の荷物を就職先の寮に送って、私は東京に出てきた。
赤いスクーターもお気に入りの白い自転車も、いつの間にか電話が来なくなった彼にもらったものも、ぬいぐるみも、全部家に置いてきた。

高校生の時以来、スクーターには一度も乗っていない。







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