【天満天神 繫昌亭(はんじょうてい)】人生初、落語を寄席(よせ)で聞いてみたら!
2006年に60年の時を超えて「天満天神・繁昌亭」がオープン
2006年9月15日に 「天満天神・繁昌亭」がオープンした。六代 桂文枝さんが「繁昌亭」開場の3年前、2003年に上方落語協会会長に就任。戦前には落語が聞ける定席があったが、戦争で焼失してから60年以上が経っていた。上方落語をいつでも聞ける「定席」があれば、という聞き手と噺家(はなしか)の願いを、かたちにすることとなった。
場所選びは、六代 桂文枝さんが、日本一長いとされる天神橋筋商店街の会長さんに会うところから始まる。そこで、地域活性化を願う宮司さんと引き合わせてもらい、「大阪天満宮の駐車場の場所を無料で使っていい」と申し出があり、場所が決まったそうだ。(参考:繁昌亭ホームページ)
20年ほど前、友人が「繁昌亭」のお隣「大阪天満宮」で結婚式を挙げ、披露宴に招待されたことがある。そのため、大阪天満宮の印象が良く、お隣さんの「寄席」は元天満宮の駐車場ということもあり、セットで「気が良い」ように感じた。
落語の歴史を知ろう!
落語のルーツは『御伽衆』だった?
落語のルーツは、戦国時代から存在した「御伽衆(おとぎしゅう)」といわれている。御伽衆とは、将軍や大名など上位の者に対して、説教や講釈話をする人である。
例えば、豊臣秀吉の御伽衆だったのが、僧でもある「安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)」だ。彼が書いた『醒睡笑』は、策伝の笑いネタを集めた本で、当時の滑稽な話がつまっている。『醒睡笑』の各ストーリーには今でいう「落ち」があり、落語の原点として知られている。
江戸落語と上方落語の違いは?
江戸落語と上方落語の違いは、「発祥」や「噺の特徴」などにある。
江戸落語は、徳川幕府のもとで生まれ、武士文化の中で発展した人情味ある噺(はなし)が特徴だ。
一方、上方落語は大阪や京都で生まれ、関西を中心に広まりまった。特に大阪は当時から商人の街として知られており、お金にまつわる噺や、音の出る派手な演出が好まれたようだ。
人生初、寄席で落語を聞いてみたら!?
まずは、落語を聞く以前に「寄席」に入ったのが初めて。「こじんまりしていて、お客と噺家が近いな」という印象だった。
昼席の公演は、落語が8本、奇術(手品)が1本、3人組の音楽漫才1本で構成され、飽きないように工夫されていた。
ただし、13時半開演で16時過ぎ終了という長丁場。仲入りという10分間の途中休憩があるが、初心者の私にとっては少々長く感じられた。
次に落語について。
「こてこての大阪弁が聞けた!」
「お笑いの原点といえるオチを体感できた!」
「映像が無くても、言葉だけで話を想像する世界を楽しめた!」
というのが、筆者の感想だ。
昔、大阪府南部に住むおじいちゃんが話していた大阪弁を、久々に聞けて嬉しかった。「~まんねん」という語尾。
また、落語を見に行ってからちょうど1ヵ月経つが、いまだに話の内容を覚えている。オチを含めたストーリーを必死に想像しながら聞くと、人は案外忘れないものだ。
落語の中で共感する人間くささ
今まで落語の本を読んで印象に残っているのが、「時そば」や「まんじゅうこわい」という古典落語。自分が得をしようとして損をしたり、ウソをついて得をしようとしたり、人間臭さは今も昔も変わらないと笑わせてくれる。
ちなみに、古典落語とは、落語の演目のうち、江戸時代から明治時代・大正時代にかけて作られたものを指すことが多い 。
古典落語を披露する噺家さんもいれば、自分だけのオリジナル落語を披露する噺家さんもいる。いずれにせよ、人間くささに共感してくすっと笑うのが落語の世界だと感じた。
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【今回の訪問先:天満天神 繁昌亭のホームページ】
天満天神繁昌亭|上方落語専門の定席 (hanjotei.jp)
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