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私とねこの17年

 ペットを飼っている人は誰しも覚悟しなければならないのは、いつか別れが来るということである。それもそのはず、犬やねこは人の何倍も早く歳を取るのだから。ハムスターなどの小動物はもっと早いだろう。飼いはじめた時期によっては自分とこの子のどっちが先かしらなんてこともあるかもしれないが(仮にその場合は自分が亡くなった後の家族を決めておいてほしい、、)
 人でも同じことだが、失ってからこそその存在の重みを感じる。「いつか」の別れはまだ来ないはず、来ないでほしいと思っているうちに、その時が訪れてしまう。生きているうちもできるだけたくさんの思い出を残そうとしていたはずなのに、精一杯同じ時間を過ごしたはずなのに、失ってからもっとたくさん、、と思ってしまうのだ。

 私は子どものころから1匹のねこを飼っていた。小学生のころねこを飼いたいと言って、誕生日に犬猫の里親会に連れて行ってもらい、縁を感じたねこだ。
 彼女はとても気が強くて、里親会の中でも周りのねこを威嚇していた。家に来てからもいつのまにか脱走して大捜索になったり、私が大切にしていたおもちゃを傷つけたりと、様々なやんちゃをした。
 そのくせ、優しい時もあった。私が泣いている時は必ず静かに側に座っていた。辛くても誰にも言えず一人で抱え込んでしまう性格だったのだが、彼女だけは私の全てを見通してわかっていてくれているようだった。
 私は一人っ子だったのだが、こんな風にしていろんな意味で彼女は本当に姉妹のようになった。両親まで私のことを「お姉ちゃん」と呼ぶようになった。

 彼女はなかなか病気せず、極めて元気な子だった。母が体型を気にして餌を少しセーブしていてかわいそうに思った時期もあったが、そのおかげか晩年になってもスリムで美しいねこであり続けた。
 私が小学校・中学校・高校を卒業していく様子を彼女はずっと見守ってくれていた。高校時代は部活が忙しくて家ではほとんど寝ていたし、大学受験は第一志望に行けず茫然とした時期があったけれど、その横で彼女は家族の一員として当たり前のように毎日を過ごしていた。大学の頃から家族全体のぎくしゃくが目立ってきたけれど、彼女が家族全員を繋げてくれていたように思う。

 ある日、彼女の様子がいつもと違うことに母が気がつき、病院に連れて行った。呼吸が苦しそうで、酸素室をレンタルし中に入れた。突然のことだった。
 周りの人が飼っているねこで20歳を超えている子も多かったことから、完全室内飼いのうちの子も当然長生きするだろうと思っていたが、この時になって残り一緒に過ごせる時間がそう長くないのかもしれないと思った。

 酸素室を借りてから2週間経つ頃には驚くほど回復を見せ、自分から外に出たがるようになった。足腰が弱ってふらついていたが、毎日少しずつ外に出て歩かせる時間を作ったことで、かなり元気になってきた。これなら回復して元気になるかもしれないと、希望が持てるようになってきた。
 しかし、それから数週間後にはまた元気がなくなってきた。病院に通ってはいたが、検査すら命のリスクとなるほど弱っていることから、最後の手段として点滴を打つようになった。点滴の打ち方が不慣れなこともありなかなかうまく刺さらなかったが、彼女はよく耐えてくれたように思う。ねこの中でもかなりそっけない性格の彼女だったが、この頃から今までにないくらい家族に甘えるようになった。

 ついにある日、母が、今日が最期になるかもしれないと言った。休日だったので私は一日ずっと彼女の側にいた。手足は固まり出していたし、目は最近急に瞳孔が開くようになったかと思うとあまり見えなくなっていたらしく、誰かの気配がなくなると寂しがる様子を見せた。
 夜になるにつれ、彼女が全然動かなくなった。呼吸はしていたが、反応が薄い。いよいよと思い、家族皆で交代に抱いて夜を明かした。必死に呼吸を続ける彼女に見かねた母が「もう頑張らなくていいよ。」と言うと、彼女はふいに静かな顔になり、しばらくして天へと旅立った。
 春の兆しが見えたあたたかくて穏やかな日に、彼女を送り出した。骨壺を抱いて帰ると、その抱き心地が彼女と似ていた。

 彼女のいない家族なんて考えられないと思っていたけれど、彼女はその後も家にいるようで、ときどき彼女の物音がしたりして私たちをあたたかい気持ちにさせた。母も時々彼女に今までと同じように声をかけている。そして残された私たちも少しずつわだかまりが解け、再構築されたように思う。両親は今でも時々私のことをお姉ちゃんと呼ぶし、彼女は今もこれからも変わらず私の家族であり続ける。
 私自身の死生観も少し変わった。彼女が待っていてくれるなら、死ぬのも怖くないような気がした。でも、たくさんお土産話を持って帰りたいから、まだ先かな。早く逢いたいけれど。

 昨日はお盆ということでいつも供えているかつおぶしを奮発し、鳥の形をした饅頭を合わせて供えた。今までお盆休みは海外旅行ばかり行っていたけれど、彼女がいるなら家に帰ってこなくちゃな、と思った。

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