「慈善事業」という線引き
ビジネス系を謳う方にいわれて少しもやもやしてるので、メモ。。
慈善事業という言葉の意味は少し曖昧なところもあるけれど。。
宗教的、道徳的な動機で、社会的弱者を助ける事業で、寄付や助ける活動そのものを表すのだと思う。
そこには、裕福な恵まれた人からの視点がなんだか含まれているような気がする。
私の活動は慈善事業とはまったく思っていない。。けれどそういう線引きをされてしまうことがあって、なんだか毎回もやもやする。
たぶん。。「私の活動」というのが、
自分の考え方にとか捉え方とかもうまく伝えられていないんだろう。
なかなか伝えきれないジレンマをいつも抱えている。
やってみて、参加して体験してもらってやっと糸口がみえる。。
私の説明じゃぁ全然ピンときてないんだろうなぁ。。って対応をよく感じてしまって。。それは私の説明力のなさね。。なんとかがんばる。
けど、今日メモしたいのは、
こういう線引きされて、もやっとするのは、
そこで線引きするんでなくて、
社会貢献を視野にいれた活動が非営利ってことでもなくて、
社会貢献的な事業自体の「動機」というのは、もう
あたりまえにあるもんでいいんじゃかいなと。
もうそういう世界になりつつあるんじゃないのかなと。
そういうの目指してるんじゃないのかな。。
10年くらい前に大学で持続可能な開発について講義をうけた。
今から日本でもベーシックにしようとしているSDGs。
とてもしっくりきた。
それがその頃はじめた活動にも繋がっている。国連がこういう方針でいくのなら、いける!と感じたから。
でも、やっと。やっと広められるようになって、きてはいるけれど、
まだまだあたりまえ、前提にはなっていない。
あとからとってつけたようなお飾りでしかないなぁと思うこともある。
しかし、意識されるのは素晴らしいことだと思う。
とある助成金では、どれにあてはまってどんなことに貢献できるかを明記するようになってもいた。。
そう、この線引きもやもやには、
非営利活動をする組織やサポートする側の意識の違いもある。。扱いにもやもやする。
非営利、営利の線引きももういらないと感じる。
生きるために働いて、暮らせて
それが誰かの助けになる
何か失うのを防ぐことができる
それがもうあたりまえでいいんやないのかな。
暮らすには現金だけじゃなくてもいいし
スキルの交換や物々交換だっていい。
それが成り立つ範囲で生きていけてる。
…もう年とってるからこんな風にいえるんかな、苦笑
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