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新たなスタートに向けて

こんにちは。なるみです。
最近はとても楽しいニートライフを満喫しています。鬼滅の刃と呪術廻戦と全裸監督がマイブームになってきています。netflixっていいですね。

さて、9月末にFroomを退職して以来、3ヶ月弱ほどゆっくり思考する期間がありました。どんな会社に就職するのか、もしくはもう一度起業するのか、この辺りのwhatは手段に過ぎないので深く考えず、もっと包括的なwhyやhowを考えていました。

自分なりに言語化ができたので、自分にとっては備忘録、あなた(同世代くらいの若者を想定しています)にとっては何か迷っていることがあったら参考になればと思います。

今日書くのはこの3つです。

1.自分のありたい姿
2.何かを選ぶときの判断基準
3.挑戦したいこと

1.ありたい姿

そもそも「ありたい姿」って何でしょう。「なりたい姿」ではありません。自分は、その人がありのままでいる時に見せる姿だと定義しています。

自分にとってのありたい姿は、一言で言うとズバリ「調整者」です。あなたの周りにも、自己主張が弱めだけど、誰に対してもうまくコミュニケーションをとってグループの潤滑油になっているようなやつはいませんでしたか?それが僕です。

よく考えると、どの組織に属していても僕は必ずこの役回りになっていたことに気付きました。後天的に身につけた動画編集/デザイン/学問知識に比べて、先天的な「調整者」としてのユニークスキルは不変かつ自分の中に確立されたものになっていました。そして不変であるなら、一生僕はこのユニークさと付き合っていかなければならないため、このスキルを伸ばすとコスパが非常に良いと思いました。

蛇足ですが、少し前に一人旅で知床の温泉に浸かっているときで出会った関西弁のおっさん曰く、「兄ちゃんよ、これから働くなら誰にも負けない武器を一つだけ作っとき!」と。このユニークスキルは今はまだ雑魚武器ですが、「調整者」としての姿であり続ける限り、威力を増すのではないかと思っています。

2.何かを選ぶときの判断基準

あなたは就活で何を判断基準にしましたか?
給料、業界、同僚/上司の優秀さ、地元かどうか、大企業かどうか、、、挙げるとキリがありませんね。

就活を例に挙げましたが、選択をしなければいけない時、人は何かを基準にして判断をします。今から書くのは選択全般における話です。
僕は自分の中であまり基準を決めていませんでした。総合的にこっちの方が良さげじゃね、という非常に直感的な選び方をする性格の人間です。
しかし、自分で創業した会社を退職して新卒としての賞味期限が迫っているタイミングで、この判断基準をはっきりさせておかずに次のキャリア選択をすると後悔するぞ、という焦りがありました。

いやいや、直感的に判断する人間がなぜ今さら判断基準を論理的に考えているのだ、と思うでしょう。
それは、自分の判断基準が緩かったために学生起業した会社から退職しなければいけなかったからです。(この辺の話をすると長くなるので気になる人は直接聞いてください。)
同じ過ちを繰り返したくない、という必死の思いからこの問いについてかなり時間をかけて考えました。

これは判断基準にならないな、というものはいくつも浮かびました。さっき挙げた給料、業界etc...は全てなんか違うなと思いました。確かに給料をたくさんもらえると嬉しいです。できたら月300万くらい欲しいです。ただ、自分が給料をたくさんもらう人生でなくてはいけない理由は特にないのです。そこそこ生きていけるだけの給料しかもらえないルートでもハッピーエンドを迎えられる自信があります。

そんな中でこれ判断基準になるんじゃね?と思うものがありました。
「このヒトに自分の時間を投下する納得感があるか」
なんとなくそれっぽい判断基準を言語化したものの、腑に落ちていない微妙さがありました。

もっと高い精度の言語化をしようと思い、友人・先輩たちにヒアリングという名の相談をすることにしました。彼ら一人ひとりに「〇〇って就活の時何を判断基準にした?」と聞きまくりました。彼らは皆優秀なので、確固たる判断基準を教えてくれました。それぞれ十人十色の答えだったものの、ある共通点に気づきました。それは、その判断基準がとてもその人らしいものだということです。彼らの判断基準は、彼らが見て聞いてきたことを糧に作り上げたものであるため、とても納得感がありました。だから自然とその人らしい基準となります。

では自分の基準は自分らしいのだろうかと考えました。
「このヒトに自分の時間を投下する納得感があるか」という判断基準は「調整者」の僕にとって、自分らしさが現れていると感じました。
「調整者」は人の間に立って折衝したり、複数の人を一定の方向へ向かわせるちを得意とします。「調整者」としてそのユニークさを発揮する限り、そこには他人が存在します。そのため、その他人がどの人かによって「調整者」のモチベーションは自然と左右されます。

自分にとってこの判断基準が腑に落ちたと同時に、以前と比べて選択に対する迷いが減って意思決定が早くなりそうだなと思いました。何かしらの成果を上げるときに、サクサクと意思決定ができることは重要なことの一つです。
学生起業した会社の退職という辛い選択が、自分に大きなプレゼントをもたらしてくれたなと、そのとき感じました。

これも余談ですが、「起業するかどうか」も僕の中ではどっちでも良いオプションの一つでした。この人と一緒なら背中を預けられる、というパターンなら迷わず起業すると思いますが、そうでなければ、別にどっちでもいいやという感じです。意外とドライな自分に気づけて面白かったです。

3.挑戦したいこと

少し長いスパンで挑戦したいことを考えました。大体20年後くらいに達成できていたらいいなくらいの長さです。

それは「AIが生み出せない価値を生み出すこと」です。

そもそも、AIに生み出せない価値とは何でしょうか。これは現時点で生み出せない価値という意味ではなく、未来永劫生み出せないだろう価値という意味です。(僕はAIにとても詳しいわけではないので、専門家の皆様は温かい目で見てください。。あとAIの定義もゆるめですがご勘弁を。。)

まず、AIが既に生み出せている価値を考えてみます。それは、単純作業の自動化です。例えば、前職のバックオフィス業務の大半(仕訳、日程調整など)は自動化させていました。軽難易度の単純労働だけではなく、交通費の自動精算のような中難易度の単純労働も置き換わりつつありますね。

では次に、これからAIが生み出していくであろう価値について考えてみます。それは、知能作業の自動化です。というか既にそこそこ「知能作業の自動化プロダクト」は市場に存在していますね。僕のバイブル「ホモ・デウス」に載っていた例ですが、AIがイカしたメロディーを作曲できるというプロダクトがあるそうです。いやいや、そんな繊細なクリエイティブはAIにはまだ無理だよと思うかもしれません。しかし、ある実験でA(プロの作曲家が作ったメロディー)とB(AIが作ったメロディー)をn人(詳しい数忘れました)の被験者に聞かせたところ、ほとんどの人がBの方が感動したと評価したそうです。それほどAIによるクリエイティブの技術が進歩していると言えます。これは極論ですが、そう遠くない未来において、人々の知能作業はAIによる知能作業にとって変わられるのではないでしょうか。

蛇足ですが、こんなプロダクトを目にしました。HP制作という知能作業は近い将来不要になるかもしれませんね。

前置きが長くなりましたが、ここからが本題です。
人間が行う労働価値の全てをAIが上回ってしまう未来におけるAIに生み出せない価値、それは「なんかよくわからん安心感」です。
例えば「AIが作った一流シェフよりも美味しい炒飯」と「いつもの味付けで作ったおふくろの味炒飯」があった時、どちらを食べますか。この質問をしたときに、どちらを選ぼうと少しくらい迷うと思います。最高の炒飯と、普通の味付けの炒飯なのにです。これは「おふくろの味ってなんかよくわからんけど安心感あるんだよね」という心理をついています。

この着想を得たのは、前職で仕事をしていたときの経験です。
前職では、ざっくり言うと「動画を作って納品する」という仕事をしていました。取引先が(元)弊社を評価するポイントは、どれだけ質の良い動画を納期通りに納品するか、だと僕は想定していました。しかし、取引先の方は、どれだけ顧客対応が丁寧かという点を重視していることに気づきました。もちろん動画の質はポイントのひとつでしたが、取引先が求める質に達していない場合の対応、愛想の良さ、誠実に取り組む姿勢に評価の軸足を置いていました。

このときに、「この人は仕事ちゃんとやってくれるし、この人に任せればなんかよくわからんけど安心するよね」という心理が人間には発生するんだなという気づきがありました。この心理を信頼と呼んだりするのだと思います。(心理学も深く学んでいないので、有識者の皆様どうか許して。。)
確かに本来ビジネスをするなら安心という生温いことは言わず数字で結果を残し続けるべきです。しかしビジネスを扱うのは人間です。人間が扱う以上、そこには必ず心理状態による揺らぎが発生します。その揺らぎに溶け込んで価値を発揮できるのが人間だけなのです。

つまり、「なんかよくわからん安心」を届けられることが人間にできる価値になっていくと思います。僕はその価値を届けられるようにすることが今後の挑戦です。「調整者」として生きていく僕は、この価値と非常に相性がいいと思っています。なぜなら、「調整者」自体、他人の懐に入り込むユニークスキルだからです。「お前はなんかよくわからんけれど安心するから懐に入っていいよ」と思われたいです。

ちなみに、ビジネスを扱う主体が人間じゃなくてAIになるかもしれないじゃん、という指摘があるかもしれませんん。
これに対しては、多分そんなことは起こらないと思います。

起業家の先輩方をたくさん見てきて、会社とは誰かの想いがないと一瞬で崩壊する生き物なのだなと思いました。どの会社も、独自のビジョン・哲学・価値観が存在し、従業員はそれを拠り所にしています。ビジョンなどは、その背景に「社長やその会社のメンバーらしさ」があるからこそ納得感があるため、AIが代替することは不可能です。そのため、ビジネスで意思決定をする主体がAIに変わることはないと思います。使われるとしても、あくまで意思決定をサポートする補助としての機能にとどまるかと。

おわりに

こんなクソ長い文章を読んでいただいてありがとうございました。
自分なりにここ2ヶ月で思考した内容を整理して書くことができました。こういった短期的にメリットをもたらさない抽象的な内容は、休学していて特に用事のないニートにしか書けないことだと思います。そう思うと、非常に良い期間です。

抽象的故に、読んでもらっているあなたへのアクションプランにまで落とし込むのは難しいですが、いい感じに解釈して何かに役立ててもらえると幸いです。

ちなみに、学生起業したCOOとしての目線から得た学びを書くnoteにしようと思っていたのに、記事3本目にしてCOOでも起業家でもなくなるという恥ずかしさ極まりない事態になってしまいました。一旦、今後は特にジャンルを決めず思考したことを書いていくことにします。

余談ですが、上述した取引先からオファーを受け、入社を決意し、ものづくり教育(SNSで言っていいかわからないのでぼかしました)の事業に携わることになりました。
半年間話を重ねる中で、この方達なら自分の時間を投下する納得感があったこと。自分のありたい姿を伝えたときに、まさに「調整者」としての姿を期待してオファーしたと言っていただいたこと。この2点が理由です。

1月から3月は、週4で岐阜の各務原、週3で名古屋にいます。岐阜の皆さん、メシ行きましょう。ちなみに、4月以降は基本的に名古屋にいます。

それでは、また。

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