鬱状態だなと思ったときに見返す記事

こんにちは、なるみです。

この記事は鬱状態、つまり「やる気」が出ないときに、どう対処すればよいのかについて書いた記事だ。もっぱら、自分に向けて書いている。

自分の心の動き方的に、時折モチベーションが地の底まで落ち、人生に対して希望を抱けない時がある。いわゆる鬱状態になってしまう。また、たちの悪いことに、どうすればその鬱状態から回復できるのか、自分でもよくわからず茫然自失となってしまうことも多い。

執筆より少し前(2022年8月)もまた、そのような状態に陥ってしまっていた。9月に入り、それが回復に向かえたことに伴い、改めて自分のうつ状態について振り返ってみた。

すると、とある法則性を発見し、今までのうつ状態のスタート→エンドについても、同じような法則に則っているなとわかった。今後、同じ状態になったときにいち早く立ち直れるよう、ここに書き記しておこうと思う。


1. 鬱状態に入る時

うつ状態は、ある日突然訪れる。ある一点を境に、やる気が出ずネガティブなことばかり考えてしまう状況に陥ってしまう。この状態に入るときのきっかけは数パターンあるが、今わかっている範囲で記入する。

A. 燃え尽き症候群パターン

高いパフォーマンスを出し続けていたり、ストレス環境下で努力し続けたりしていると、知らずしらずのうちに自分のキャパをオーバーしてしまうことがある。そのとき、ある日突然活動が停止してしまい、全く動けなくなるときが訪れる。言葉通り、燃え尽き症候群に陥ってしまう。

具体的には、樋口に入社したてのとき、名大祭実行で頑張りすぎたときなどが思い浮かぶ。

このパターンについては、下記の本がうまく説明しているので、読み返してみると良い。


B. 突然のショッキングなイベントパターン

かなりショックな出来事が起こったときも、同じような鬱状態に入ってしまう。自分のできる範囲内で、その出来事に対処できず、ただひたすらつらい時間を受け入れなければいけないときに、このパターンは訪れる。

具体的には、Froomをクビになった時、元カノに振られたときなどが思い浮かぶ。

心の支えになっていまものが急に崩れ落ちたときに、この感覚を味わうことが多い。


2. 鬱状態でやる気が出ない時

この状態は、何度経験しても本当にしんどい。原因も対策も思い浮かばず、ただ毎日焦燥感と自己嫌悪に苛まれることになる。

鬱状態から抜け出せないとき、つまりはやる気がでないときには、前提として思考を放棄したほうが良い場合が多い。何かの本で読んだが、鬱状態から抜け出すには時間の経過が必要なこともある。怪我の回復期間だと思って、時間に身を任せることも選択のひとつだ。

悪循環にはまってしまうときにも、割と法則があるように感じる。それは、鬱になった要因ではなく、不足しているものを考えてしまうことだ。

例えば、今回の鬱傾向時には「目標がないこと」が鬱になっている原因であると考え、目標を探していた。しかし、実際回復してみると、明確な目標が必要でなくても元気になれることがわかった。(そもそも、自分の感覚的に、明確な目標を持たなくても問題ないことは明白)

それよりも、なぜ鬱状態になってしまったのかを考えるほうが答えに近づける。それを次のチャプターで解説する。


3. 鬱状態から抜け出すタイミング

鬱状態から抜け出すタイミングについて記す前に、自分の鬱状態について俯瞰して考えてみる。

鬱状態とは、何か幸福を感じられる行動が制限されるときに起こる。鬱自体、所詮脳内の物質の変化による産物だと考えると、イメージがしやすい。

例えば今回の場合「コロナで自宅待機で鬱屈としていた後、外に出て通常通りの一日を過ごしたら元気になった」という回復の仕方だった。回復のトリガーは「外に出る」だった。そして、制限されていたものは、外出による気分転換だった。

また、Froomクビ事件のあとは、友人とご飯に行き、自分の不安・やりたいことなどを何度も言語化しているうちに、急に自分の歩むべき道が言語化されたタイミングで元気になった。この場合の回復のトリガーは「自分の歩むべき道の言語化」だった。そして制限されていたものは、自分の進むべき方向性だった。

しかし、鬱期間内における鬱の原因は変化することも少なくない。今回の場合は、燃え尽き→コロナのダブルパンチだった。燃え尽き時の原因(社内の人間関係)とコロナ時の原因(外出ができない)は異なる。今回は、外出ができない、という原因をうまく解消できたために回復した。

これらのことから、鬱から抜け出すタイミングは、鬱状態にしている自分の原因自体が解消されたときであると言える。今までも、ちょっとした行動の変化が、たまたま原因の解消となる行動だったため回復したというケースが少なくない。次からは、これを意識的にできるとより良いかと思う。


おわりに

躁鬱気味な自分の精神状態は、今後もうまく付き合っていくしかない。簡単に法則性について今わかっていることを書いたが、絶対的に時間の経過が必要になることもあるし、この法則だけでは説明がつかないこともあると思う。

しかし、自分のことは自分で一番わかるようにしなければいけない。学生という期間が終わり、社会は思った以上に自分のことを可愛がってくれないんだなと痛感した。自分の身は自分で守れるようにならないといけない。これからいろいろなライフイベントがあるかもしれないが、自分のことすら守れなければ、いつまでも子どものままだ。

こういう価値観のふりかえりは、あえてnoteを使うようにしているが、自分にとっての備忘録的な要素が大きい。また同じような「やる気出ないモード」になったときには、定期的にこのnoteを振り返るようにしよう。


0904追記

当記事を見て感じたこと。

鬱脱却→やる気ある行動ができる
という状態にはならない。

なにか行動を起こす→鬱から脱却するための要素が偶然入っており鬱脱却
となる。

2022年8月の鬱脱却も、たまたまコロナから回復して「家から出る」という行動をした結果、鬱から脱却できた。
つまり、この引用記事はある程度納得感をもてる。

0905追記

鬱から如何に脱却するかについて説いた本。
「つらい」という感情を客観視せよ、という教えが本の内容だが、あまり賛成できない。

なぜなら「つらいときはつらい」からだ。客観視をしても、何もしてもつらいものはつらい。

それを踏まえると、つらいときの解決策は【時が過ぎるのを待つ】ことなのではないか。
MECEでは無いように思えるが、時間を待つというのは、自分にとって大きな解決のための要素だと言える。

とは言いつつも、当該書籍では「つらくても客観視を辞めるな」と述べている。

短期的な視点では「つらい」という感情を払拭することは出来ないが、時間を使いつつその感情に向き合うことそのものが、鬱脱却への価値になっていると言えるだろう。


一旦この本を読み切ったので、振り返りも兼ねてここに追記。

  • 反応しない=判断することに逃げない

    • 目を閉じて自分を俯瞰してみると、自分の心が外界に対して反応しているだけで、問題は反応してしまう自分の心だとわかる(京都の座禅のときの感覚と似ている)

    • 反応してしまっているなと感じたら、まず距離を置いて反応することから逃げる

    • 判断しなければ、という自己嫌悪に陥るのは逆効果

  • その後の対応は「反応しない」or「快にする」→どっちがいいとかない。どちらもOK。

    • 反応しない・・・距離を取り続ける

    • 快にする・・・自分が取りたい行動を取る

心に残るフレーズが多い本だった。特にタイムリーな話題が多かったので響いたのだろう。また「自信を当てにするな」という言葉はハッとした。自信には根拠がないため当てにしないほうがよい。むしろ自信に左右されず物事に取り組める(反応しない・快にする)ことを意識すべきだと感じた。

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