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「静」の時間
某月某日
秋の到来とともに、身体のリズムが徐々に変化している感覚がある。
「静」の時間を欲している。春から夏にかけて、特段忙しくしていたつもりはないのだけれど、新生活の始まりや、暑くて仕様がない毎日を乗り越え、一息つきたいタイミングなのかもしれない。
以前の自分であれば「静」を求めるこころに気づくと「疲れてしまったんだろうか?自分大丈夫だろうか?」とひどく不安になった。今は環境と自分のリズムのひとつなんだな、と少し落ち着いている。
まだ腹の底まで落ちた感覚ではないけれど、ほんの少し、波を波として受け入れることができるようになったのかもしれない。
まだ18時台なのに外はすっかり日が暮れている。やはり、秋はやって来ている。
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某月某日
夕飯を食べながら「田辺の和室#102」を聴く。田辺の和室は、お笑い芸人・ぼる塾のYouTubeで毎週水曜日に配信しているラジオ番組。田辺さんと酒寄さんの「何気ない」以上に「何気ない」会話が好きで、ほぼすべての回を聴いている。
今回の田辺の和室は、本を読むって大事だよねって話だった。
酒寄さん「国語のテストで、作者の気持ちを答えよとかってあるじゃん?そういうのを考える方向で本を読むことによって、自分自身の感想を失っていた時期があったかもしれない」
田辺さん「国語の授業って押し付けあったよね?!私の気持ちはこうなのに、なんでバツなんだろうか」
酒寄さん「国語の授業と道徳の授業がごっちゃになるときがあるのよ」
自分の感想を失う。押し付ける授業。国語なのか道徳なのか。パンチラインが勢揃いしている。
純文学なんかは特に、描写の意味とか時代背景がさっぱり分からず「意味わかんないな」って物語を読むのをやめちゃう生徒は確かにいると思う。そういうとき、解釈のひとつを解説してくれる「国語の授業」は必要なのかなって気はする。
ただ、そういう「意味の分からなさ」も含めて一旦受け止めて、自分のなかに生まれたもやっとしたものを丁寧にすくい上げて、いつか自分で「あれってこういうことだったのかも」って気づけば。それができれば物語を読む意味は十二分にあるように、最近は思う。
小説や漫画、映画など物語が大好きな、学校教員をしている友人のことを思い出した。彼女だったらこのラジオをどう聴くんだろうと思った。
20230913 Written by NARUKURU