起き上がれないけど、セブンのドーナツは食べたい。

「死にたいけどトッポッキは食べたい」

私もトッポッキを食べたいと思いながら、BOOKOFFの売れ筋コーナーのペク・セヒさんの著書をじっと眺めていた。

死にたい、とまで思うことはなかなかない。でも、布団から起き出すのに何時間もかかることはある。

シャワーを浴びて着替えて外に出てみる。気になっていたコーヒー屋さんに行ってみる。そういう小さな行動で、こころとからだの調子が上向くことくらい、さすがに知っている。

でも、たったそれだけのことができないことがある。シャワーまでの十数歩が、やけに遠く感じる。

からだもこころも重いのに、お腹はきちんと空いて、何なら食べたいものまで思い浮かんだ日には、憂うつさ倍増。

セブンイレブンの、4個入りドーナツ。オールドファッションとポンデリングが2種類ずつ入って、300円台。ドーナツ4個も食べたいと思うくせに、何がからだが重いだ。起き上がれ。

自分が訴える不調が「中途半端で、都合のいい調子の悪さ」に思えて、憤りと悔しさと悲しさがごちゃ混ぜになる。ひとの話であれば「そういうこともあるよね、お疲れさま」と言えるのに、自分に対してはどうにも難しい。

(ひとの話であれば、と言っているが本当か?自分の中途半端さが認められないヤツが言うそんなことば、嘘くさくないか?)

考えた末に、公開のnoteで「疲れたが言えない」と言ってみた。他者の力を借りたかったから。

疲れた、は言えないまま。ただ、疲れってすぐには癒えないものもあると、ちょこっとだけ理解した。それと「死にたいけどトッポッキは食べたい」感覚をもっても良いんだと、これまたちょこっとだけ受け入れた。

分かりにくい不調も、辛いものは辛い。辛くてもお腹が空くときは空く。

食べたいものが思い浮かんで、しかも食べれたなら、美味しいな、良かったなでいいじゃない。そう思えるようにはまだかかりそうだと思いながら、チャプチェとキンパを美味しくいただいた。

私が食べたいのは、ドーナツだけじゃなかった。

20211126  Written by NARUKURU

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