雑記20211123
ジェスチャードローイングの習慣がまだギリギリ続いているという記録とモヤモヤ。
5月中旬から始めたので、半年経過しました。
↓7月ごろ。(お絵描き講座パルミー、アナログ)
↓9月末。(以下じぇすどろパーティ、iPad)
↓10月末。
↓最近(11月)。
最近のはジェスチャードローイングからクロッキーになりかけてますが、写真やモデルさんによって好きなように描いています。
ただの練習というだけでなく、作品として整えたいと意識するようにもなりました。
※ジェスチャードローイングは動き重視、クロッキーは形重視という理解。
ここのところ時間を意識しない描き方が続いているので、そろそろまた1、2分で描くのに戻るつもりです。時間意識する・しないを一定期間交互に繰り返すのがなんだか上達しそうに思います。
毎週新しいリファレンスを出してくださる、じぇすどろパーティさんとモデルさん方に感謝します。おかげで続いています。
▶︎ GESture DRAWing PARTY
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しかし定期的に浮かぶ、「目指す絵もないのに、何の為にやってるんたろう……」という気持ちとも闘い続けている。
初めてじぇすどろをやってみたときは、「線を引くこと、絵を描くことが楽しい」と思い出せたから続けてみることにした。だが続けていたら、そろそろ目的を作らないとだめな気がしてきた。
いや、、目的がないとだめだと思うのが間違っている? 今も楽しい気持ちが消えてないことを確認できるなら、本来そのまま続けていればいいはずでは。……結局は承認欲求に縛られているのか。
「楽しいと思うことを続けていたら道が拓けた」という人が心底羨ましく、自分はまず楽しい事が見つからないと悩んでいる。でもその真実は、
・やるからには目的がないとだめだ
・価値のあるものを生まなければ
・人に評価されなくてはやる理由がない
と決めつけることで見つけた楽しさを自ら潰している?
楽しいことを楽しいままに続けることが、楽しいことを見つけるよりもずっと大変だということに気づかなければいけないんだな……。
続きはまた考えよう。