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喋ることがなんもない

 私は元々、会話をする時、自分から喋るより相手が喋っているのを聞いているのが好きでしたが、最近ますます自分が喋ることができなくなりました。
 より正確に言うと、会話中に「喋りたい」と思うことがほとんど無くなったのです。

 仕事に関する話なら別ですが、日常的な会話での私の反応は、相手の話している内容に対して相槌を打つか、内容を深掘りするために相手の話している内容に質問するか、相手の内容から連想されたことを話すか、相手の話に対しての感想を言うか、のいずれかです。とにかく相手の発話ありきです。自分から話題を振るのが以前よりも困難に思えています。

 私が会話の時に喋りたいと思わなくなった原因には心当たりがあります。noteです。noteで私は自分が語りたい内容を思う存分書いているので、私の「語りたい欲求」とでも言うべきものはnoteに書いた時点で満たされています。そのため、人と話すときにわざわざ何か話そうという気持ちにならないのです。
 そうは言っても、noteは特定の誰かに対して話しているのではないので、会話の相手にはnoteで書いた内容を話してもいいはずです。リアルでの知人友人で私のnoteを読んでない人は多くいるので、noteで書いた内容を語ってもいいはずです。
 しかし、私の中でnoteで書いた内容は「終わったこと」とカテゴライズされているらしく、一度noteで文章としてまとめてしまうと、その話題について私の興味が無くなってしまい、わざわざ話すのが億劫になるのです。なんなら「そのことについて聞きたいならnoteに書いたから読んで」と言いたくなるくらいです。さすがに失礼なので言いませんが。

 以前から、自分の思考を文章化することで自分の頭に浮かぶ思考のアブクが解消されていくことは自覚していましたが、最近はその効果がどんどん強くなったのか、書いたそばからアブクが消えていくようです。
 上手く言語化できた、と思えた文章であればあるほど、書いた内容について忘れている感じがします。さっきちょっと自分が書いた記事の一覧を眺めたところ、「あれ、こんなこと記事にしたんだっけ」と思うような記事がいくつかありました。健忘症?

 逆に人から話を聞きたい、という欲は高まっています。人と話すとき、相手の話が聞きたいと思います。
 相手がどんなことを考えているのか、思っているのか、感じているのか。それらを深く、丁寧に聞きたいな、という思いがあります。そのため、ついつい質問攻めしそうになりますが、あまり聞きすぎるのも失礼だと思って我慢しています。でも本当は無限に質問したい笑

 自分のことを内省してよくよく見つめてみると、不思議と人のことが気になってきています。相手は何を考えているんだろう?何に関心があるんだろう?このことにどう感じるんだろう?そんなことを聞いてみたくなります。それらの答えはきっと自分と違うので、その違う答えを聞いてみたいのです。

 というわけで、人と話がしたくないわけではないのです。むしろ人とは話がしてみたい。ただ、私から喋るのではなくて、相手の話が聞いてみたい、ということです。

 スペースなどでお誘いあれば是非ともおしゃべりしたいと思いますので、どうぞお声かけください。その時は私はきっと質問魔になります笑


 本日は以上です。スキやコメントいただけると嬉しいです。
 最後まで読んでくださりありがとうございました!