
大嫌いで大好きな自分とずっとい続ける苦しみ
自分は何も特別でない
ということを自覚してから以降、この苦しみから逃れられている人間は一人もいない。と思う。
どんなに自己肯定感が高い人でも、自分にうんざりするシーンは絶対ある。
だけど、どんなに大嫌いと思っても、絶対に絶対に自分からだけは離れられない。切り離して客観的に付き合おうとしたって、到底無理だ。
その苦しみ(大っ嫌いで大好きな自分)を抱えつつ、生きていくという過程の中で、ちょっとずつマシになっていくだけ。めんどくさい自己を一生懸命励まし、ご機嫌を取りながら生きていかねばならない。
本当に、この世は修行だ。
みんな何かに酔っ払ってないと生きていけない
ケニーのいう通りだ。
一方で、酔っぱらわせてくれる存在、たとえば、素晴らしい作品や偉業を目の当たりにした時、自分が何も出来なさすぎて、不安で恥ずかしく、苦しくなる。
大袈裟なことでなくても・・些細なことでも、すごい!と思えることに触れたときも、ちくちく、劣等感に襲われる。
そう思うのはやっぱり、自分が大好きだからだろう。大好きな自分が惨めで、大好きな自分に期待するからこそ、悲しいし、苦しいと思うんだろう。
でも、その無力感・虚無感もまた、誰かの見せてくれる、素晴らしい世界観で救われるのだ
ぐるぐる、ぐるぐる
その大きな循環の中で、上がったり下がったりしながら、ここに居続けるしかない。
誰かが下がっている時は、あげられる存在に、自分が下がってる時は、あげてくれる誰かになって。
自分の意識がなくなったら、すべて終わりだから、何やったて無駄だ
死んだら終わりなんだから
バルスみたいにすべての議論を終わらせられる、考え方だと思ってたけど
地球が粉々に爆発しても、人間が築いてきたあれやこれやの歴史は、どこかの巨大なクラウドみたいなところに保存されてて、永遠に記録され続けているのかもしれない。
どんなに綺麗に削除しようと思っても、ゴジラの心臓みたいに何度も蘇って、完全に消し去ることなんてできないのかもしれない。
実際、火星や月へもカジュアルに行けるようにきっとなるんだろうし。
未来の子どもたちに
っていうセリフが嘘くさく、全然共感できない。
そうじゃなくて、
どんなにデリートしようと思ったって、自分がやってきたことは絶対に消えないんだから、後から見返して恥ずかしくないように、精一杯今できること、やれよ
という方が、しっくりくる。
消極的な理由かもしれないけれど。
たまたま見上げた、夜空に、蠢くスターリンクトレインに、ぐいっと上を向かせてもらえた。