事実よりも現実を変える力を持つ「物語」の力
実際に起きたことや科学的なデータは、
その人が「何を信じるか」の前には、なんの役にも立たない
・ストーリーが世界を滅ぼす
・ホモ・デウス
・エビデンスを嫌う人たち(読み途中)
と、立て続けに読んでいるからそういう思考になっているのかもだけど、本当にそう思う。
①大きなことで言えば、
数々の疑惑が持たれ進行中の訴訟を抱えるトランプさんが大統領に選出されたこと。
いろんな勝因があると思うけど
トランプさんが語るストーリーは人々の信じたい未来像に刺さるからなんだろう。
いくら事実を元に説得したり、彼に投票した人を馬鹿にしたりしようとも、
そのストーリーを信じ、そこに希望を見出す人にとっては一つも響かない。
一方、裏金問題の重大なスクープをしたにも関わらず、議席を減らしてしまった日本における共産党。こちらは、理想のストーリーが飛躍しすぎてて、没頭できるほどの魅力がなかったからだろう。
ストーリー設計が甘いと読者は離れていく。現実味がなさすぎると、恥ずかしくなったり、冷静な自分が出てきて、物語と自己の間に隔たりがてきてしまうのは、漫画も一緒だなと思う。
突飛でありながらも、要所要所で、そうそうそう!という共感がないと、まったく惹きつけられない。
②小さなこと(身近なこと)で言えば、話が通じない人との会話だ。
最初に主張ありきで、そこに向かって人はいくらでも、事実をアレンジしてこじつけることができる。
実際に起こった出来事は一つのはずなのに、そこに向かうストーリーは、人の数だけ存在する。
ある人は、ファンタジーの文脈で、
ある人は、ミステリーの文脈で、
ある人は、ホラーの文脈で、
ある人は、ロマンスの文脈で・・・・
というように、好きなジャンルは人それぞれで、まったく別ジャンルで話をするのだから噛み合うわけがない。
時には、複数のジャンルが組み合わさり、もっと面白いストーリーが出来上がることもあるけれど。。。
なので。
持論を主張したい場合は、まず、相手がどういうストーリーを好んでいるかを理解する。
そのストーリー上で、どのように展開すれば、自分の望む結末に持っていけるかを設計する必要がある。
そこをすっ飛ばして、相手の好みも知ろうとせずに(話も聞かずに)
事実やデータを並べて、無理やり相手をねじ伏せようとしても、
それは
「私があってるんだもん!
私悪くないもん!」
と駄々をこねる子供となんら変わらない。
たとえ正論だったとしても。(むしろ正論を振りかざすことで、より一層相手は頑なになる)
相手が精神的に大人の場合、はいはい、そうだよね。と聞いてもらえる可能性はあるが、説得という観点では、一つも有効ではないだろう。
(かわいそうだね、と感情に訴えるという路線はありそうだが)
万人ウケするストーリーなんてないし、誰も考えられないんだけど、
どんな相手と話すとしても、大枠では誰しも目指すゴールは、
「全方向にハッピーな状態」
で一致するはず。
いきなり結論を突きつけるのではなく、
なぜその結論にしたいのか、なぜそこを目指すべきなのかを説得するための
プロットをお互い見せ合うことで、双方(あるいはチーム全体)にとって、より納得度の高いストーリーを完成させられるようになるのだろう。
なかなか、そこまで落とし込んで話すのは難しいし、
フィーリングで方向性を決めている人も多いので(私自身もそうなりがち)
言語化して議論する機会は日常生活ではあまりない。
けれど。
どうしても通したい主張がある時は、筋書きをしっかり作って、
「いいお話だね!」「面白いね!」と思ってもらえるように努力していくところから始めるのことしか手段はないだろう。
目から鱗が出るような、一発で面白い話で惹きつけられたらいいけれど、
固定概念を覆すのは難しいから、長期戦になることを厭わず挑むより道はない。
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