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人類総メンヘラ時代

みんな何かに酔っ払ってないとやっていられない
ケニーの言う通りである。

何事にも、意味なんてないのに、意味がないと生きられないのが人間だ。

どの時代も、その時に一番力のある物語を語れる人が正義で、
それから外れた人は、危険な思考を持つやばいやつ、と取締られ、文字通り始末されてきた。

情報伝達の技術が今ほど発達していなかった時は、目に見える、目の前の物語を信じて進んでいけばよかった。

シンプルに。

その物語の中で生きたくない、と思っても、それ以外の声が表に出ることはなく、少数派の意見がまとまって、主力を打ち負かすほど強大になるには今よりもっと難しかった。

今は、顔も知らない、会ったこともない人の意見を、自分のテリトリーから一歩も出ることなく知ることができる。

死ぬまで足を踏み入れることのない土地のトラブルや、成功を認識することができる。

自分の範疇を超えた無限に広がる「意味」を認識して、考えられるようになった。

誰でも自分の処理できない量の情報にアクセスできる環境の中で、
好むと好まざるに関わらず、自分の範疇を超えた意味を考える機会を与えられている。

地球の反対側で起きた惨劇にさえ、シンパシーを感じて怒ったり悲しんだりするようになった。

だけど、自分の目や手が届く範囲を超えたところで、起こっていることに私は何もできない。

しかし、もし、川で溺れる子を目の前で見たら、直接的に助ける行動を取ることができる。

何が言いたいかというと、目の前にあること、自分の手を伸ばして届くところは、自分の意思でなんとかできる。
(成功するかしないかは別として)

手の届く範囲にいない人に対して、
祈るとか、募金とか、そう言うことはできるが、
今お腹が空いてて、今怪我してて痛くて、今辛いんだ、と言うのを取り除いてあげることはできない。

何もできないことを考えるのは無駄、と言うわけではないが、できもしないことに苦しむことに、脳や精神のスペックを使い、今目の前で起こってる課題に対処する力が削られている。

起きもしないこと、ありもしないこと、できもしないこと、
モノより思い出。
目に見えてるものだけがすべてではない、心で感じることが重要なんだ。

確かにそうだ。

たくさんのものを所有し、財力でなんでもできる人が強いんだ、
と言うのは、モノを持たない人にとっては、強烈な不快感を与える。

だから、そんなにものが溢れても結局心が満たされないと、「意味」ないよね。と。


いくらでも想像できて、共有できて、無限に創出できる意味。
意味はコスパがとても高い。

より、安心して身を委ねられる意味に価値がある。

だから、不安な人は、より、自分の意味を肯定して、強化してくれるお話が大好きで。そこに寄り添うのはトランプさんみたいな人なんだろう。

だけど、意味は所詮手に取ることができず、関係性がなくても、勝手に与えられる。
意味で腹は膨れない。
人はパンのみで生きられないけど、パンがないと絶対に死ぬ。


強く心地の良い意味を付与され、共有することで自分の価値も高められたような気がする。
パンに固執しなくていいと言われて、一時的に楽になったような気もする。パンなんてなくてもいいのかなという錯覚に陥る時もある。

しかし、意味は所詮幻想だ。どんな立派な大義名分や思想があっても、意味はある日突然消える時がある。
だけど、意味がないと、自分のアイデンティーを担保できず、人は壊れる。

その意味で、メンヘラじゃない人なんて、この世に1人もいない。
他人と自分の境界線を把握できるようになり、自我が芽生えるくらいから、メンヘラ人生がスタートする。

自分が生きることに意味を求めるから苦しめられるのに、でも意味がないと生きられない。

本当に矛盾しかない仕組みになっている。

その矛盾を解消するために、
他人に感謝しましょう
とか
今を生きよう
とか
自分を肯定しよう
とか
迷惑をかけないようにしよう
とか
その人なりの不安を取り除いて、意味を維持しようとする。

自己啓発、哲学、宗教、推し活・・・実体のないものを縁にしないと生きられない時点で、もう立派なメンヘラではないかと思う。

自分がまともだなんて到底思えない。

だけど、
・・・というか、
だから。

もっと目の前の目に見えるものに、シンプルに頼るといい。

泣いてる人がいたら、綺麗な言葉をかけてあげるより
抱きしめたり、手を握ってあげたりする方が、よっぽど、効果がある。

子どもが怒ったり、悲しんだり、不安を感じたりした時、
口でガミガミ言っても一つも響かない。
ただ、とりあえず一旦抱きしめる。
それがどんな一言よりもずっと、相手を落ち着かせる。

言葉は確かに、大切だ。
あったことのない、見たこともない人のことまで、広く励ますこともできる。

だけど、今、目の前にいる人を抱きしめてあげたり手を握ってあげたり、背中をさすってあげたりできるのは、ただ、そのそばにいる人だけができることだ。

メンヘラを和らげる、唯一にして最強の手段は、フィジカルだ。
脳で勝手に作り出した意味や、人から与えられた意味に振り回されることなく、
もっと五感に頼って、自分の範疇にあるものを大切にすることを忘れずにいたい。


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