No.337「懺悔」と生物はなぜ死ぬのか
このままの生き方だと私は、また生まれ変わってしまうかもしれない。
大切な人の葬儀を終えたその日、自分の中にわいた、感情の整理ができなくて、苦しい中、なぜか無性に、ハンターハンターのキメラアント編を読みたくなった。
生まれ変わったカイトと、コアラの対話のシーンは、初回読んだ時は、全然意味がわからなかった。
だけど、今はすごく、この話に救われる。
と、同時に、このままの生き方をしていたら、私はまた、繰り返してしまうなとも思った。
昭和初期に生まれた祖母は、正真正銘「これしかない」っていう生き方を、生き切ったと思う。
最後まで一貫していた。
神様も天国も、極楽浄土も信じられるほど、無邪気でも無知でもなくなってしまったが、一連の儀式を経て、現世に残された私たちに、僧侶の方がかけてくれた言葉は、とてもしっくりきた。
テンプレートなのだろうが、繰り返し使われるテンプレートだからこそ、の重みがあった。
これから四十九日をはじめ、法要が続くことになるが、葬儀をきちんと行なったことで、前向きに取り組める気がする。
一方で、冒頭の通り、自分に照準を照らしあせてみると、不安も残る。
「これしかない」という生き方が、現状できている自信がまったくない。
葬儀の前と前後するが、
祖母の訃報を聞いた瞬間の私の感情は
「どうして?」
だった。
何かヒントはないかと図書館へ向かうと
「生物はなぜ死ぬのか」と言う
ドンピシャのタイトルの本が目に入った。
生物学者である著者の方でありながら、語り口がとても優しく、期待する内容がありそうなので、通常なら絶対読まないジャンルだが、読み進めている。
DNAとRNAの話はとても興味深く、理解が遅いので、ゆっくり読んでいるところだが、葬儀を経て、懺悔を読み、
懺悔とDNAとRNAが、カチッとつながって、
冨樫先生ってやっぱ、めちゃめちゃすごい、、と改めて、心底、思った。
うまく、まとめられないので、
この関係性で感じたことをダダダっと、質問した上で、
チャットGPTに考えを要約してもらったら次のようにまとめてくれた。
ほほう。
うんうん、私が適当に思いついた、拙いアイデアをここまで、もっともらしくまとめてくれて、生成AI、、まじすごい。
果たして、これは生物学的にあっているのかどうかは、まったく良くわからないのだが、
神様やあの世や輪廻転生はあまり、信じられない今日この頃だが、
DNAの中に刻まれた記憶が、子孫に伝承される、と言うのは、科学的にも筋が良さそうな気がする。
だから、この思いがうまく消化されないまま受け継がれちゃうと、ずっと連鎖しちゃいう。
・・・しかし・・・
祖母が、DNAを母に託した時点では、人生をやり切った状態の祖母ではなく、まだもがいていた時代の、祖母なのだから、やはり、
その時点では「これしかない」になってないのではないか。
つまり!!
「これしかない」状態になって、DNAを受け継ぐことは不可能なのだ。
「これしかない」って思う気持ちを、受け継ぎ、その気持ちをもとに、自分なりの「これしかない」を目指す。
そう言うことなのか。
私たちは、後悔を受け継いでいるわけでなく、後悔しないために生きるための気力をDNAに残しながら、一人一人が、その答えを求めることから逃れられないようにできているのかもしれない。
・・・と、書きながら、チャットGPTが吐き出した回答と真逆の結論に至ってしまった。
けど、まあ、その答えも悪くないな。
今は、このままじゃいけないって思わないと、生きていけるはずなんてない。
これでいいやって今思ってたら、私はすでにゴールしちゃってるってことだろうしな。
生物学面白い。
DNAとRNA、もっと詳しく知りたくなってきた。
どんどん読み進められないけど、理解しながら、完読したい。