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「ずっと死にたくない」という感覚とは・・・?
死にたい
という積極的な願望ではなく
リセットしたい、というか
元から何もなかったような状態になりたいというか
そういうことを一度も思ったことない人って、いるんだろうか???
優劣とか
善悪とか
正誤とか
そういうことではなく、ただただ、
0の位置で、無になりたいというか・・・
少なくとも、私はある。
多分、高校生くらいの時が一番ピークで、その後も、定期的に
持ってるものを、全部手放して、0になりたい。という感覚が襲ってくる。
鬱とか、病んでるとか、そういう状態ともちょっと違うように思う。(病院とかでちゃんと診てもらったら、正にそうですよ、とか兆候ですよって言われるのかもしれないが・・・。)
ああ、またきたな、という感じで、そんなに深刻なことに思ってない。
フッと湧いてはサッと消えていく。
別に無気力で、投げやりになっているわけではない。
家族や会社、ご近所関係はじめ所属する各種コミュニティのことだって、どうでもいいなんて思ってない。
頑張らなきゃ、と気張るほどでもないけど、積極的に手放そうという気もない。
けど、日常のそうした、細々したあれこれや、関係性をすべて忘れて(というか脇に一旦おいて)
ただ、ゼロになりたいなーって思う感覚。
睡眠とは違う感覚で、
意識をゼロに飛ばす時。
ゼロになっている時は、とても心が平和で落ち着く。
外側の情報を一時的に完全にシャットアウトする。
パソコンの電源を落とすような感覚だ。
自分の意識化では、死んでいるような状態とも言える、この状態が、一番フラットで落ち着く。
なので、この状態の時に、
突然、家族に呼びかけられたりすると
うんざりして、もう話しかけないでほしい、
と強く思う。
それと同時に、罪悪感も湧く。
罪悪感を感じたこと自体にまたうんざりもするのだが。
ゼロになっている時は、放っておいてほしいのだ。
そんな時、突然、誰かに話しかけられると
水底からすごい勢いで引き上げられるように
強制的に我に返らされる。
ものすごい、重みを感じて、より一層、何も感じない
負荷のかからない状態に戻りたいと執着心が湧く。
死んだような状態というのは、それほどまでに、心が穏やかになる時間なのだ。
辛いことより楽しいことの方がたくさんあり、
平均的に平和で幸福な人生だ。(と思う)
そんなに恵まれた状態でも、やはり、いつかはこの完全に静寂でゼロに戻る時が来るのだ、というゴールがあることが、私の心を落ち着かせる。
それが、永遠に終わりません。あと500年は続きます。
とか言われたら・・・・
耐えられる気がしない。
いや、確実に、とてもとても耐えられない。
ゴールがない、永遠に、現性に、このままの私であり続ける。
それに喜ぶ人と、絶望を感じる人、どちらが多いんだろうか。
Googleのキャリコやアルコー延命財団など、最先端をいく組織は、寿命の延長、永遠の命に向けて、着実に進んでいるようだ。
これまで不治の病と言われていた病気にどんどん打ち勝てるようになり、老化しない有機物の域を脱した強靭な肉体や脳が手に入るの日もそう遠くないのかもしれない。
しかし・・・
輪廻転生はあるのかわからないけど、次生まれてきた時に、もう二度と、その私から逃れない事態になっているとしたら、恐ろしい・・・。
絶対死にたくない!死を何が何でも回避したい、、って思う感覚・・・ってどんな感じなんだろう。
延命・長寿の研究が進んだ世界では、そっちが当たり前で、スタンダードな寿命で死ねることの方がオプションになるんだろうか。
デフォルトでは500年です。
天然の命で終わりにしたいんですか? でしたら、延命スイッチ切りますんで、オプションです。ってな具合で・・・。
もし、途方もなく長い命を与えられたとしたら、
いつか死ぬ恐怖よりも、いつまでも死ねない恐怖の方が今はまだでかい。