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1人は寂しいようで、やはり最高に贅沢な時間

リモートワークばかりでは、人との関係性が希薄になりすぎるため、時にはリアルに対面できる機会があった方がいいとか
偶然の出会いや、何気ない雑談から、新しいアイデアが生まれるとか。

とにかく、他人とオフラインで会うことの価値や重要性はコロナ以降、より一層高まっていて、実際私もそうだと思う。

しかし。

私にとっては、オフラインでのコミュニケーションの機会は、

やっぱリアルで会うって大切だよねーっじゃなくて

やっぱリモートってサイコー!!

を改めて、実感するための機会だ。

仕事はもちろん、遊びであっても、
オフラインでのコミュニケーションは、オンラインの3倍くらいは疲れる。

身支度をして移動して、現地へ赴くところから
相手から受け取る情報量も多く、同様に、こちらからも意図せず与えてしまう情報量も多い。

とにかく疲れる。

1人で自分のペースで作業や思考を進めるのって、一切ストレスがかからない。
それって、当たり前のことじゃないんだなーっていうのを、改めて確認する。

画面を切れば、バイバイ、じゃなくて、会話が終わっても、相手の存在がいきなり切れるわけでなく、ぼんやりと繋がって、ちょっとずつ物理的な距離が離れていく。

これ、毎日、やってたのかーーと思うと、自分、すごい頑張ってたなって思う。
今、この生活に戻ったとしたら、生産性は10分の1くらいに落ちる気がする。

で、オフラインで仕事や遊びから帰ってきた際には、物理的に家を空けるわけで。

その後の
お母さんお母さん攻撃がものすごい。

ねえ、お母さん、
あのさ、お母さん、
それでね、お母さん・・・

って体感レベル1,000回くらい呼ばれる。外出から帰った後は。

こっちが疲れていようが、関係なく、
子供はお母さんに聞いてもらいたいことや確認したいことが山ほどある。
複数の子供から、それぞれの話を順番に聞いていると、もう、めちゃめちゃ時間がかかる。

さらに、すごい疲れる。

おまけに旦那も話しかけてくる。

誰からも話しかけられなかったら、もちろん寂しい。

だけど、そうやって、たくさん呼びかけられれば、呼びかけられるほど、

1人暮らしの頃の静けさが懐かしい。
寂しくて、怖くて、戻りたくないはずの日々が、
今はとても贅沢なものだったように思う。

自分のためだけに、全時間を使えるって、相当贅沢な時間だ。

サイゼリヤの創業者である正垣さんは、
つべこべ言わずに徹底的に相手を勝たせろ
自己犠牲こそ美徳なり
というけれども。。

世界は私を中心に回っているのではないのは十分わかっているけれど
肉体に精神が縛り付けられている以上(離れたことないからわかんないけど)
この頭の中で喋ったり、感じたりする、アイデンティティを通してしか、物事を認識できない。
「私」と認識されている「精神」がなくなった時🟰世界の終わり
だ。

実際はもちろん、誰がいなくなろうが、世界は続いていくので、そんなことはないのはわかっているけれど、認識できなくなった時点でその人にとっての世界は終わっている。

他人と関わることで、こういう、くだらない(考えてもしょうがない)
思考を断ち切ることができて、健全なんだろうけど。

自分のペースで、自分の考えたいこと、知りたいことを
誰にも邪魔されずに、できるのってやっぱ最高だよなー。

世界に1人だけになりたい、というわけではないけど、
適度に人を感じつつも、孤独な時間を確保できるのは、とても贅沢なことだ。

お母さんになった時点で、だいぶその贅沢な時間が奪われた。
子の成長とともに、自分の時間が取り戻せるのが
寂しいけど、同じくらい、嬉しいような気もする。


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