キャリアを複線化するきっかけ
変化は突然おこるわけではない
2022年は私にとって大きな転換期になった。でも、ちいさな転換は随分前から始まっていた。
2006年から大学で研究者として働くことになった。専門は社会学で、家族や障害に関することの調査をしていた。じっくりフィールドに入って、人の話を聞くのが研究スタイルだった。
研究者は自分の研究に加えて、講義もしなければならない。教室に行って、Keynoteのスライドをなぜか紙で印刷して配ってプロジェクタに出力して話をしていた。講義の感想やテストを学生にその場で手書きで書いて提出してもらっていた。研究室に戻って、手書きの感想シートを打ち直して、またスライドにして次の講義で配っていた。今思えばなんてアナログな方法だろう。
きっかけは、父親になったことと、サイボウズLive!の終了
2014年に父親になった。大学時代の師匠の姿を見ていた私は当たり前に育児専念制度(いろいろあって短時間勤務制度だったが)を利用することになった。オフィスに居る時間を極力なくし、自宅で仕事ができる体制を整え始めた。感想シートを打ち直す時間、スライドを印刷する時間すら惜しくなった。
研究のスタイルも変えた。泊まりの出張などができなくなったので、人と会うタイプの調査はすっぱりやめて、調査票やデータセットを集めて分析する方法に変えた。30代も半ばで突然研究テーマや方法を変えるのはキツかったし、しばらく論文も出せなかった。初歩的な分析方法の間違いを査読で指摘され、赤面した。学部レベルの教科書を読み直し、恥をかきながら人に聞いた。
講義ではサイボウズLiveを使い始めた。感想シートはチャットで出してもらえばいい。紙の資料は配らずにKeynoteをPDF化したものを掲示板にアップすればいい。そのうちに講義だけじゃなくて私の仕事の多くがサイボウズLiveに吸い込まれていった。
だが、そんな私とサイボウズLiveの蜜月はある日終わることになった。
ありがとう、サイボウズLive。そして、わたしの旅が始まった。
きっかけは、kintone、そしてTTさんが京都にいてくれたこと
サイボウズLiveの代わりを探してさまよった。そしてkintoneにであった。講義はGoogle Classroomになり、演習や実習運営はkintoneに置き換わっていった。
使えば使うほど、kintoneは「いろんなこと」に使われていることがわかってきた。そして、福祉業界、医療業界でkintoneを使って革命を起こした峠さん、瀧村さんを見つけるまでには、そんなに時間はかからなかった。
2019年のCybozuDays名古屋で峠さん、瀧村さんに出会えた。俄然やる気が出た。kintoneをもっと使おう。そしてこんないいものはみんながもっと使ったほうがいい。これを使えば、子育てする人も、体調が優れない日でも、みんなと繋がれるんじゃないかと思うようになった。
そしてMOVEDの存在を知った。楽しそうな会社だな、とその時から思っていた。
きっかけは、COVID-19
そして2020年3月、COVID-19がやってきて、世の中が一変した。みんな移動ができない「移動障害者」になった。みんな集まれない「集合障害者」になった。オンラインとかテレワークとか、それまで限られた人しか使っていなかったZOOMとかMicrosoft TEAMSを突然、みんなが使い始めるようになった。
大学もロックダウンされ、私が一人でやっていたことを職場のみんながやりはじめるようになった。講義はオンラインになり、録画や配信をせざるをえなくなった。オフィスに行かない仕事スタイル、人にあわない研究スタイルをみんながせざるをえなくなった。
「いつ行っても研究室にいない」と批判された私の仕事のスタイルをみんながすることになっていた。
「え、なにこれ?」
私はちょっと興奮していた。急ごしらえの大学のオンライン化に尽力した。
手元にあるお金をかき集めて、山奥のちょっと広い家に引っ越した。鹿や猪が窓から見える部屋で、オンラインミーティングにSlackで仕事をする生活は、ますます私を職場の物理的空間から開放した。
私が作るkintoneのアプリはますます増え、自分が作ったパッケージをもっとみんなに使ってほしくなった。だが、1大学教員が作ったアプリパッケージを他の同業組織に広げるのは難しかった。
職場に「もっとkintoneを使おう!」と呼びかけてみたが、DXは技術だけでは進まないことを日々痛感した。人の気持ちに寄り添わない、人の気持ちを動かさない形だけの業務改善はどこかで止まってしまうのだ。
きっかけは、kintone Café Kyoto
2022年6月のkintone Café KyotoでTTのお二人に再会した。Twitterでフォローしていたので久々という感じはしなかったが、そこで出会った皆さんに、それまであったことを話した。自分でも驚くほどに、点と点はつながっていた。
その日のうちに「MOVEDで自分の作ったものを広げたいんです」と言っていた。副業の申請を出し、ダチョウの学長にも「新しいことはどんどんやりなさい」と背中を押してもらった。
MOVEDにジョインして思うこと
人はいつ、なんどき、何があるかわからない。体調を崩したり、育児や介護で誰かのケアをすることになり、仕事のペースを変えざるを得なくなることもあるだろうし、自分の「一所」懸命やってきたことでも、社会の変化に合わせて方法を変えざるを得なくなるかもしれない。
未来は誰にもわからない。
だからこそ、「一所」じゃないほうがいい。
たくさんの顔を持っていたほうがいい。
スキルはたくさんあったほうがいい。
それでもやっぱり自分の好きなこと、得意なことはあったほうがいい。
好きなことでも、得意なことでも、応援されないと続けられない。
だから、違う場所でも違う働き方をしていても、自分と同じ気持ちでいる人がいると感じられるコミュニティがあるだけでもずいぶんと救われる。
キャリアが複数あることは、わからない未来に備えること。
複数のキャリアを持つことは、他者の多様性をうけいれ、自分の可能性を広げること。
100点を1科目とるよりも、60点を3科目とれるほうが、たぶん自分にも他者にも寛容でいられるような気がする。
ちいさな「きっかけ」は、最初は「きっかけ」とはきづかない。あとから振り返って、「ああ、あれが」ときづくだけだ。
さあ、「きっかけ」を繋ごうか。