ぬくぬく育ったなるあやが思うこと
こんにちは。LivingAnywhereのなるあやです。
前回のnoteから日が空いてしまいました。年も変わり2021年。なかなか思うように行動出来ない状況に、モヤモヤしてる人も多いでしょうか。正直なところ、そんな気分にもすっかり飽きてしまったというのも本音。こんな時こそ、思い切って自分の脳ミソを解放!心の自由を忘れずに。何かふと、自分でも忘れていたり、実は抱いていた欲求に気付くことが出来るはず。今年もそんな風に思考の転換をして楽しみながら、今出来ることをコツコツと積んでいきたいです。
最初に、一つご報告があります。LivingAnywhere(以下、時々略称:LA)で2年半ほど働かせていただきましたが、契約終了に伴い、1月末をもってLAのお仕事から離れることになりました。残すところあと約1週間。noteを悔いなく書き綴って、締めたいなと思います。せっかくアカウント作成したので、LivingAnywhereなテーマとは異なるかもしれませんが、引き続き、個人的な日々の記録をゆるく残していければなぁとは考えているところです。
さて昨年秋に開かれたLAイベント、やつがた家のレポート続編。書きたかったのは、LA×家族について。今日は、ちょっとコロナのことは忘れて、この先あったらいいなと思った未来というかたちでお話したいなと思います。
無意識が生む未来、そうじゃない未来
皆さん、幼い頃から今までを振り返り、家族という枠組みによって、本来の自分が出せない、ちょっと窮窟さを感じたことってないでしょうか。または、役割に縛られてしまってるなと感じた経験ありませんか?成長していく上で、家族や何かの役割の存在がとても大切であることは、言うまでもないけれども、じゃあ、逆にそれらに無意識に囚われてしまってたことってないのかな。今日は敢えてそこに意識を向けてみよう。
例えば私、4歳上に姉がいます。いつも姉の後ろを無意識に追っては、マネしないで!と怒られ、だけどやはり無意識に追う!という典型的次女でした。ある日、結婚式で使える可愛いらしい写真はないかしら??と幼い頃の写真を探した時、予想以上に変顔ばっかりで、家ではひょうきん者だったことを実感した私ですが、次第に家族の前でも何かと恥ずかしさを感じるようになり、染み付いた次女体質に磨きをかけて、あまり思い切ったことをせずに、様子を伺いながら、無難な道を生きるようになりました。大切に育ててもらったこと、次女としての恩恵には心から感謝しつつ、大人になるに連れて、ふと「自分には道を切り開く力が備わってないなー」とか「新しいことへ飛び込むのに人一倍勇気がいるなー」と自覚することがありました。気質もあるとは思いつつ。また、無難に生きる方が親も安心することを、目で耳で肌で…すこぶる感じていたので、本当の本当はどうしたいのか?をあまり深く考えることなく(いや、それなりには考えたけど?笑)大学生くらいまで生きていたのではないかと。アルバイトを通じて社会というものを経験しながら、自分の得意・不得意を認識し、初めて就活で自分が納得する道はどれだろうと悩みに悩んだのです。これまでのなるあや家とはテイストの異なる、見たことも聞いたこともない会社に入社したいと言う次女の選択に、少しばかりの親の戸惑いも感じました。それでも思ったように決められた時は、とても清々しかったのを覚えています。楽しい学生生活を満喫出来たことを幸せに思いながら、今思うのは、もっと早くから、よく知らない世界との関わりも積極的に持てていたら、身近にいそうでいない多種多様な大人に出会っていたら、また違う未来も開けていたかもしれないということ。
「次女」だった私は、「親」になり、子供にこそ沢山の世界、大人と関わって生きて欲しいなと思いながらも、どうやってそれを実現してあげたらいいのだろうと思ったり、子供が未熟であればある程、自分の見えないところでの出会いやそこに潜むリスクを正直不安に思ったりするのも普通の親心。
普段の自分を忘れて自由になれる場所
そんなことを頭に浮かべながら、先日のやつがた家を振り返ります。やつがた家とは、家族と一緒だったりひとりだったり、そんな皆が車や電車で、仕事を持ってきたり持ってこなかったりで、とりあえず八ヶ岳に好きな時間に集合し、買い出しに行き、星空を見ながらご飯を作り、アウトドアを楽しみ、寒さに凍え死にそうになりながら、夜も語らい…といった感じの、スケジュールもルールもないとりあえず集合型イベント。でした。(私のオンライン参加レポートこちらです↓)
とある次男を連れて参加したメンバーが
普段は超シャイボーイな息子で心配していたのに、現地に行ったら、見違えるくらい楽しそうに弾けてた!お母さんびっくり!
なんて言っていました。またもう1人、長男を連れてきた別家庭のお母さんからも
最近お兄ちゃんになって、色々抑えていたものがあったのか、久しぶりに楽しそうに遊んでいる姿が見られて良かった!
なんて話を聞き、その場に親がいながらも、あまりその存在を気にせずに、子供が普段見せない一面を見せたり、解放されて一皮剥けられる空間である、LivingAnywhereの魅力について考えました。
母親側にも、発見がありました。私はオンライン参加だったので、常に膝に3歳児が纏わり付き「母(という役割)から解放されることはなかった…」とため息をつく一方で、現地メンバーからは
「母」と「個」である自分を行ったり来たりすることで、その余白を感じられた!
残念ながら夫は参加出来なかったけど、もし夫もいたら、「母」だけでなく「妻」という顔も増えることになり、それはそれで余白がなくて大変だったかも。これで良かった。笑
という感想も。そうそう、やはり何だかんだで周りを取り巻く環境から、自分の役割や、あるべき姿を強く意識してしまって、不自由な気分に陥ってしまうことって多いもの。
学校や仕事へ行けば、家庭内とは違う役割が自分に課され、それはそれで違う自分へステップアップするためには必要不可欠。大事なきっかけになるけれど、家族ってずーっと一緒にいればいるだけ、その構図が当たり前になってくる。子供からしたら「兄弟」「姉妹」「ひとりっ子」といったその子にとっては生まれながらの境遇って、自分では変えることが出来ない。メリット・デメリットを感じつつ、それもいいよね、と自然と受け入れながら、私の場合は育ってきた。だけど、時々そんなことから解放される機会があってもいいんじゃないかな。学校とか友達とかの集まりじゃなく。親戚同士でもなく。
多様な家族がみんなで集まって、一つの家族みたいになれば、普段お兄ちゃんの子も弟みたいになれたり、ひとりっ子でも、お姉ちゃんみたいになれたり。ちょっとお母さんを辞めてもいい。笑 お父さん代理がいたっていい。知らないお兄ちゃんに勉強を教わったっていい。遊んでくれるおばあちゃんを見つけたり、時々会えるペットがいたら、ちょっと心も癒される。
(LAC八ヶ岳にはヤギさんがいます。笑)
LA×家族が生む、予測不可能な出会い
家族といっても、かたちだって、理想の家族観だって、人ひとりひとりのライフステージだって様々。色々な価値観を持った人々が、予期せず「個」として出会ったら、どんなことが起こるんだろう。「そういうの、ワクワクするよね」というのがLivingAnywhereで一番大事にしたいものでもある。Serendipityってやつ。
魅力的な夫婦との出会いが、悩んでた自分の人生に大きく影響を与えることだってある。退職して第二の人生を歩み出したバイタリティ溢れるおじさんの話を聞いて、ぼんやりしていた自分の老後を本気で考え始めることもある。学校、仕事、習い事、親戚大集合とはまた違う場で人が集まり、どこの家族の誰々?何先生?どこどこ会社の人?なんて気にせずに。○○君、○○さんって一人一人呼びながら。子供だろうと、大人だろうと、普段の自分をちょっと忘れて、何者でもない「個」であることの意識が高められて、お互いに交流が出来たら。いつもよりもより自分らしく、発想も自由になれるかも。こんな機会を、普段の生活にプラス出来たら、もっと沢山の可能性が開花しそう。そんな場、確かにあったらいいよなと純粋に思いました。で、それこそがLivingAnywhereで出来ることなのだという再認識も。
今回、やつがた家に参加した感想に
「普段は何でもテキパキ行動出来るすごい人って思ってたけど、意外と弱気なところもあるんだと知れて、ちょっと嬉しかった」
「子供が粗相してしまって、自分で全部責任を追うことしか考えてなかったけど、そっと助けてくれた誰かの行動力に心から救われた」
というものもありました。知っていたはずなのに、シチュエーションが変わって改めて出会う「その人そのもの」や「その人にとっての当たり前が、時に誰かにとっての救いになる」という新たな発見。家族旅行や、友人家族とのBBQなんかで得られるリフレッシュ感や楽しさ、目的の達成感とはまた違って、普段と違う自分や、相手にも出会える、そんな空間がLivingAnywhereなのだと。そんな話を聞いて、誰かと一緒にガラッと環境を変えてみるというアクションが何故大事なのか、納得させられた気持ちにもなりました。自分の考えやポテンシャルに対する意識が、これまでとちょっと変わる瞬間をリアルに体感出来る。
これから先、自分や家族が求める余暇の一つに、こんなイベントがあってもいいかもしれないな。やつがた家の振り返りをしながら、そんなことを、自分のぬくぬくした育ち方に重ねながら、思ったのでした。LAと家族を掛け合わせると、得られるものが色々ありそう。
人生観をアップデートしながら生きていこう
生き方・暮らし方・住む場所の自由について何らか思いがある人が集まっているのがLivingAnywhere。こうして自分がLA内でリモートワークをしてきただけでも、一人一人を知れば知った数だけ、自分との違いを知り、その人の考えとの出会いによって、自分の思考が少しずつ広がることを感じてきました。かつての私には、関係ないやぁ…で終わってたこれまで敢えて触れることのなかった生き方でさえ、こんなに「新しい日常」が謳われ始めている今になってみれば「それもありだよね」なんて、素直に思う。
どんな人生を選ぶかは自分次第。選択のタイミングだって人それぞれ。無限にある生き方から、自分で選択していくその過程にこそ、自分らしさや自由を感じていいと思う。試行錯誤でいいと思う。子供を育てていく身としても、予測のつかない将来において、やはり自分の価値観・人生観もアップデートしていかないと、子供にとって何が本当に幸せなのか、正しさなんてどこにもないんだけども、陰で見極めてあげられなくなるだろう。そんな危機感さえ感じる。LAに出会えたことがその糧になると、いいなぁ。
コロナ禍でもあり、なかなか思い切ったリアル体験のできるイベントが開催出来ず、LivingAnywhereはちょっぴり苦戦しておりますが、そしてLivingAnywhereは、信頼出来る素敵な大人たちの人生観と出会える場所!そう胸を張って言えるようになるには、まだまだ実体験と共に、私には時間が必要なんだけども、そんな可能性の宝庫であることを少しずつ確信しながら、これからも陰ながらワクワクとLivingAnywhereの活動を見守っていきたいです。LAファミリー(勝手に仮称)、いつかその時が来たらぜひ参加しようと思います。