【映画】硫黄島からの手紙


歴史を学ぶとは
歴史から目を背けないこと
そして、考えること

こんにちどうも。
今日は午前に出勤して午後は有休。
一回目のワクチン接種をしてきました。

腕が徐々に痛くなるのを感じながら、
映画を1本観たので、感想を綴ります。

「硫黄島からの手紙」

この映画は、クリント・イーストウッド監督のもと製作され、2006年に公開されました。
第二次世界大戦中の 硫黄島の戦い を日米双方から描く硫黄島プロジェクトの、日本視点が「硫黄島からの手紙」です。


舞台は1944年から1945年にかけての硫黄島。第二次世界大戦中、サイパンなどを初めとして各地で敗戦が続き、アメリカ軍が日本本土へ迫っている状況下で、硫黄島は最後の砦でした。
硫黄島へ攻め寄るアメリカ軍との戦いに参加した一人の若い日本軍兵士の目を通して、軍を率いた栗林中将らの戦いを描いた作品です。


以下、感想(ネタバレを含む可能性あり)

第二次世界大戦時下の戦いをテーマとした映画は以前、「ハクソー・リッジ」を観たことがあります。
「ハクソー・リッジ」はアメリカ視点での話だったので、日本視点で、あの凄惨な戦争がどのように描かれるのか興味がありました。

「硫黄島からの手紙」は、主人公・西郷(二宮 和也)視点で日本軍が追い詰められていく様子を描き出します。

当時、「逃げるくらいなら死を選ぶ」ということが日本人の誇りとして語られ、上官が部下に強要するようなシーンも幾度も出てきますが、

そんな中で西郷は「生きてこそ」「生きなければ」という想いを内に抱きながら戦います。

西郷は、強い信念を持って、力強く行動していくタイプではありません。
上官の圧に負けてしまったり、恐怖に足がすくんでしまったり。

それが戦争のリアルだったのではないかと思います。

よく、日本人兵士の勇敢さが美談化され取り上げられた小説などを見ますが、実際はそんな勇敢さ、信念を持っている人ばかりでなく、世の流れに流され、私たちと同じように命を失うことへの恐怖を感じていたはずです。

そう考えると、遠く感じてしまう歴史が、巨大な恐怖として、心を支配します。


この物語のもう1人の注目人物は、硫黄島を守る日本軍の指揮官、栗林中将(渡辺 謙)です。
栗原中将は、もともとアメリカにいたという背景を持ち、恐らく日本がアメリカと戦った時にどのような結末を辿るのか想像がついていたでしょう。
その中でも、悲観的な様子は決して見せず、部下を鼓舞し、一日でも長く硫黄島を守る選択をします。

しかし、自分自身が何がなんでも生き抜くという力強さは感じません。他者のために動く、本土に住む家族を守るために、行動しているという、その原理が芯から伝わってくる。そんな印象でした。


これらの人物の弱さ、強さ、信念は、彼らが硫黄島での戦いの最中に書き記した手紙から伝わってきます。その表現方法がくどくない分、より重く観ている人の心にのしかかります。


物語を通して、直接「戦争をしてはいけない」というメッセージはありません。

しかし、この物語を見終わった時、「絶対にこの歴史を繰り返してはならない」そう強く思いました。

彼らが硫黄島で自らを犠牲にして守ったものがあるのは事実です。それは硫黄島だけではなく、各地で戦った人達すべてに言えることです。
ただ、その歴史は美談ではありません。

なぜ、あのような凄惨な戦争が起こったのか、
なぜ、市民が戦場に駆り出され命を投げ出さなければいけなかったのか、
常に考え続けなければならないと思います。


歴史から何を学ぶのか、そこには「考える」ことが必ず必要です。

学校で歴史を教えられて、年号と事実を頭に入れるだけでなく、「なぜ」その歴史が起こったのかを考え続けることが必要です。

歴史を学ぶ意義はそこにあると感じました。


脱線しましたが、

「硫黄島からの手紙」

是非観てください。

そして考えてください。

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