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「奇跡」と「奇跡じゃない」の差

「奇跡」と「ただの事象」には
実は差がないのではないか、と。

たとえば奇跡(に見えること)
電車で隣に座った人から
「一目惚れです」からの結婚

まず、あなたがその電車に乗る
理由として、通勤、とする
その場所を選んでいること
その仕事を選んでいること
その通勤方法を選んでいること
その車両、座席を選んだこと
その時間の電車を選んだこと
の前に
あなたが今日まで死んでいないこと
電車に乗れる状態であること
あなたという人が生まれたこと

あなたという人が生まれるためには
親が出会い
親が生まれるためには

…などなどなど。考えれば考えるほど
うぁ〜!?
ってなりそうな
奇跡は無量大数の可能性の上に
あるんだなと思う。

では、奇跡じゃない事象は
どうなのかというと。



たとえば
あなたが今、
毎日通う学校の自分の教室で
スマホを見ているとする

(他のどこでもなく)その席であること
(他の何組でもなく)その教室であること
(他の学校でなく)その学校であること
その地域に住んでること
そこに来られる状態であること
スマホを触れる状態であること
(他のスマホでなく)その機種、その色の
スマホであること
スマホを見る理由があること
っていうか、
あなたが生まれたこと…

…なんか似てきたな。

って思うと
どれも奇跡じゃないことってないというか
逆に、「奇跡」という概念が崩れてくるような。



で、高い次元なほど規模が大きくなるというか
扱う情報が多くなるのではと。
どの可能性も把握した上で
すべて完璧に組んで
その奇跡(事象)を起こす。

なんか生命体生み出そうとしたとしたら
その生命体が、他のものに
どういう影響があるか
ほんとーーに広い範囲把握して
他のものときれいに循環するように「組んで」、
ゴーサイン(試作はありそうだけど)。

高い次元にいるほど
そういうお仕事になっていくような気がした。
お風呂入ってたら。
なんか、思いつきました。

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