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「奇跡」と「奇跡じゃない」の差
「奇跡」と「ただの事象」には
実は差がないのではないか、と。
たとえば奇跡(に見えること)
電車で隣に座った人から
「一目惚れです」からの結婚
まず、あなたがその電車に乗る
理由として、通勤、とする
その場所を選んでいること
その仕事を選んでいること
その通勤方法を選んでいること
その車両、座席を選んだこと
その時間の電車を選んだこと
の前に
あなたが今日まで死んでいないこと
電車に乗れる状態であること
あなたという人が生まれたこと
あなたという人が生まれるためには
親が出会い
親が生まれるためには
…などなどなど。考えれば考えるほど
うぁ〜!?
ってなりそうな
奇跡は無量大数の可能性の上に
あるんだなと思う。
では、奇跡じゃない事象は
どうなのかというと。
*
たとえば
あなたが今、
毎日通う学校の自分の教室で
スマホを見ているとする
(他のどこでもなく)その席であること
(他の何組でもなく)その教室であること
(他の学校でなく)その学校であること
その地域に住んでること
そこに来られる状態であること
スマホを触れる状態であること
(他のスマホでなく)その機種、その色の
スマホであること
スマホを見る理由があること
っていうか、
あなたが生まれたこと…
…なんか似てきたな。
って思うと
どれも奇跡じゃないことってないというか
逆に、「奇跡」という概念が崩れてくるような。
*
で、高い次元なほど規模が大きくなるというか
扱う情報が多くなるのではと。
どの可能性も把握した上で
すべて完璧に組んで
その奇跡(事象)を起こす。
なんか生命体生み出そうとしたとしたら
その生命体が、他のものに
どういう影響があるか
ほんとーーに広い範囲把握して
他のものときれいに循環するように「組んで」、
ゴーサイン(試作はありそうだけど)。
高い次元にいるほど
そういうお仕事になっていくような気がした。
お風呂入ってたら。
なんか、思いつきました。