悪霊が憑依していたら人を殺しても許されるのか?
幽霊の存在を信じるか否かは個人によるが、
信じる方の人は、幽霊のせいならどんな事でも許せるのだろうか?
そりゃあ程度によるだろう、とも思うが、じゃあどんな事まで許されるのか?
殺人事件も自分の身内なら怒るかもしれない。
しかし他人事なら許せるのか?
そもそも私は幽霊は居ないと思っている。
心霊体験はしたが、特に見える訳でもないし証拠も無いので、思い込みといえばそうな気もする。
童謡の「お化けなんてないさ」の歌詞通りの解釈である。
でも、実際に「見える」と言う人も居るので、真っ向からの否定は難しい。
否定したところで受け入れる人も恐らくいないだろう。
私は双極性障害を患っており、過去何度か自殺未遂と完遂を行っている。
完遂の時はかなり死に近い状態だったかと思うが、そんな私からすれば、「幽霊になんてなりたくない」と普通に思うのである。
自ら命を絶つ人は、もうこの世にいたくないから絶つわけで、幽霊になってまでこの世にまた存在しなければならないなんて真っ平御免でしかない。
仮にとても憎んでいる人がいて、死ぬ原因もその人で、死ぬ直前までその人のことを呪い続けていたとしても、それはその人に罰が下ればクリアする。
そんな精神状態だったら恐らく他人に何かしたり、干渉することもないだろうし会うことすらしたくないのではないか。
幽霊になったとして「またこの世に戻されたのかよ!どうやったら終われるんだよ!」と私だったら思う。
たまに物やペットに魂が乗り移っていると言う人もいるが、自分だったら何物かの傍でじっとしているのは嫌だし、ペットはそもそも可哀想だから乗り移りたくない。
こうやって幽霊側の気持ちで冷静に考えると、何をどうしてもこの世に戻ってきてずっと何かしているなんてなんの得も無い。早く死にたい。
神や幽霊は何かに縋ったり何かのせいにしたい人間が生み出した存在だと思う。
ツチノコやネッシーや妖怪もそう。
家族が亡くなって悲しい時に、「そこに居る」と信じ込み悲しみを紛らわせたり、そんな風に思い込みから勘違いに変化していったのではないか。
良いことが起きたら「神のお陰」、悪いことが起きたら「妖怪のせい」である。
本題に戻ろう。
私はこの病気になってから、初めて「破壊衝動」というものに駆られた。
具体的には「人混みの中へ入り、銃を撃ちまくって無差別に人間を殺したい」という欲求である。
元より私は虫も殺せないほどに命を尊く思っていたので、誰かに危害を加えたいなど思ったこともなかった。
この欲求が湧いてきた時は自分が恐ろしく、自分をコントロール出来ないのではないかと不安で仕方がなく頭がおかしくなりそうだった。
もしこの時私が本当に殺人をしていたら。
精神障害ではなく、「悪霊」や「環境破壊に怒る神」等に取り憑かれていたと主張したら。
それが裁判官の信じるものだったら。
遺族の信じるものだったら。
果たして判決はどうなるのだろう。
今は時が経ち破壊衝動は無くなったが、ふと、疑問に思ってこれを書いた。
そもそも「自然死」というものは存在しなくて、必ず何らかの要因で生物は死ぬのに、
「寿命で死んだ」っぽい死に方以外だと悲しみの大きさが違ったり、その人の価値観や思い込み等によって感情が変わるのが、また少し興味深いなぁと思う。
そもそも人間ではなく幽霊自体が攻撃してきて死んだら。
事故や他殺に見せかけた自殺だったら。
真相を知らなければどう思うのか。
何にせよ人は必ず死ぬ、という事だけは変わらぬ真実だ。