敬語について

敬語。日本語にはなんと難しくややこしいシステムが存在するのでしょうか! これは随分面倒なことになりました。一つ考えてみましょう。
まず第一に、敬語は敬意を表す表現なのでしょうか? 私の答えとしてはノー。敬語は立場の差を表す表現ではないか。具体的にはこう。

(例)先生、生徒A、Bが放課後の教室で立ち話をしている場合。
先生「A君はプリントを直接私に渡してくれたかね? それともB君に渡したかい?」
①A「お渡ししました」
②A「渡したよね?」

前者は敬語を使ったのだから先生に、後者は敬語を使っていないからB君に渡したし、話しかけているという見方がごく自然な解釈だ。面倒なのでこれ以上は掘り下げないが、これは先生を尊敬していてもいなくても基本的にこうなるものである。で、そう解釈できるのが敬語の強みだったりします。
つまりこういったわけで、結局敬語に敬意は関係なく、基本的には社会的に規範された通りの関係性をあくまで示すに過ぎないのだということがわかります(本当に?)。敬語を使わないことで(社会的規範から敬うべき人に)敬意を表さないことはできるけれども、敬語を使ったとて殆ど敬意を表したことにはならないのが相場だ。
しかし、常に物事の流れる方向に逆らいたくなる私は考えるわけです。敬語を使わないのも、敬語を使いすぎるのも嫌だ。だったら、敬語とタメをちゃんぽんにして話せばいいのではないか、と。敬語を一定程度使うことで社会的規範は遵守しつつ、タメも使うことで親密感も出したいわけです。そういえばずっと平体と敬体が混ざっていますが、実はこれも意図的にしていたのです。
また、本来タメで良い友人や幼稚園児レベルにかなり年下の子供にも敬語を混ぜることで、今度逆に怖がらせないようにしつつ、節度ある社会的距離を取って尊重の意思表明もできる。なんともまあ非常に合理的な仕組みだと思いませんか?

こういう文章を書いていること自体、サイコパスっぽくて厭になるけれども、人が考えないところを考えて、人が考えてくれるところは考えないで生きたいと思うんだよなあ。

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