夢を見る方法

生まれつき夢を見る人と、見ない人がいる。普段から夢を見ない人にとって、夢を見ようとすることは容易ではない。
基本的に人間は夢を見ることが平常な状態として扱われる。ここでは将来の夢も夜に見る夢も同じ話だからあえて区別する必要はないのだが、とにかく我々は事ある毎に夢の内容を問われる。これが夢を見ない人間にとっては厳しいのだ。

まず夢を見るために、夢の原理を確認しよう。寝ているときに見る夢は脳が記憶の整理をしているときの副産物とかどうとかいうから、出てくる内容は記憶が基になっている。だが、同時に思考の内容も影響してくるようで、たとえば昼にオムライスを食べようと思ったのにちょうどお店が臨時休業で食べられなかった、という未練が残っていれば夜はオムライスを食べる夢を見るといった具合だ。
さて、夢はどのくらいの長さ見ているかというと、実はかなり見ているというが、朝起きるときにほとんど忘れてしまい、その一部だけしか思い出せない状態になるという。これを参考にすれば、つまり夢を見られない人間は夢の内容を記憶/記録する努力すれば良いことになる。

ところで、夢に出た内容は叶わない、という一種の噂話がある。これは逆夢(さかゆめ)と言うらしく、正夢の対になる存在のようだ。何ともめちゃくちゃな話だと思うかもしれないが一理ある話で、現実に不満があるからその反対のことを脳内で願い、結果的に夢として表出するわけだから、夢として出た時点で夢はもう叶わないということが決定づけられているわけだ。殆どね。

こんな夢を見ました。何やら大きな船に乘つてゐる。行先は解らないが、日が沈むのは西だと考へれば、蓋しこの船はもう何日も東へ西へと右往左往してゐる。隨分長いこと乗つてゐるが、馬力は次第に衰へ、船は黒い波に段々と飲まれて行くやうにすら感ずる始末である。
乗り合はせた客は老人が殆どであつた。甲板でたまたま少なかつた時に一人の老人を捕まへて、「この船はもうすぐ沈むのではありませんか」と問うたら、鼻で笑はれた。白い柩が海に投げ込まれたのは翌日のことである。
或朝どうにも耐え難くなつていつそ海へ身を投げやうかと思つたが、人の気配を感じたのでその時は止しておいた。飛び込んでしまえば重荷から解き放たれた身体の軽さと、塩水の浮力と、適度な快い冷たさに驚いたらうに、結局けふも船に乗り続けてゐる。

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