文章について
少し前まではてなブログを複数書いていたのだけど、疲れてやめてしまった。いちいち起承転結を整えて精緻な文章を書くのはなかなか手間がかかり、構想が思いつく深夜たとえば0時に書き出すと気がつくと3時を回っているという次第で、体にも悪かった。私は思うところがあって日記をつけることができないので(このことについても何れ書こうと思う)、ひとまず随筆の体でふらふらと書く所存である。
ところでこういう文章は何の為に書いているのか。ブログ、あるいはツイート。私はポスト(投稿)というほど仰々しいことはしていないから、あくまでツイートという名で通しますが、誰かに読ませようとしているのかというと、意外とそうでもないことに気づく。
不特定多数を相手に文章を書く目的は、基本的に3つほどあると思う。
第一に、人に何かを伝えようとすること。説教、あるいは宣伝。この文章も段々説教臭くなってきました。
第二に、人が探している何かになろうとすること。業務の引き継ぎとか、便利な情報とか。説教や宣伝と何が違うかといえば、能動と受動が逆転している点に尽きる。人が求めるものになるのか、人に読ませるのか、という点。でも大体の場合は君たちが書いているのは人に読ませる文章ですよ。
そして第三に、自分の思考の整理。自分の思考を整理するために文章を書くという部分は少なからずあると思う。よく言われる例として、たとえば小学生に算数を教える段になって初めて算数のエッセンスを解するということがありますね。人に何かを話すという形を取ると、すなわち本質に触るる好機を得るに至るのであります。
〜注:この一行の間に3ヶ月の時が流れました〜
この三者が揃って初めて、合理的な文章になるように思われる。というか、文章を初めて書かざるを得ないだけの状況に追い込まれるとでも言うべきでしょうか。実際には自分が整理したい時に、他者に色々伝えたいことなどない、その余裕がないわけで、だからなるほどあまり何も書く気が起きないわけです。
ともあれこうして文章を書くのを再開させようとしたのにも多少の心境の変化があるわけで、そこについてはまたいずれ。