#09 私の物語について 完全版
個人と組織の能力を最大化し、物語を共に創る伴走者、ナラティブサポートの上村です。
#01の記事でナラティブサポートという屋号に込めた想いと、仕事の話等を少しさせていただきました。そして#02、#03で私の社会人時代の話を少し話させていただきました。今回は私の幼少期からの話も少しさせていただきます。
幼少期~自分を守るための勉強~
1984年に産まれた私は人より何事をするのも遅い子供でした。笑う事も立ち歩きする事も遅く、一人で留守番をする、自転車に乗る、友達と話をして輪に入る。そんなことも苦手で何もかも出来ない子どもでした。しかしそんな私にも得意な事が1つありました。それは勉強でした。『やってて良かった』でおなじみの公文式に4歳から通った私は、勉強をする事で親や先生に褒めてもらい、自己肯定感が高まっていきました。そしてどんどん先の教材に進んでいき、小学校2年生の頃には中学生の問題を解いていました。なので学校では勉強ではヒーローのような存在で親や先生は褒めてくれるし、周りの友達は頼りにしてくれました。勉強をするという事で私は生きる方法を見つけたんです。
学生期~人の物語を生きていた事への気付き~
しかしそれが弊害になりました。成長が遅く何も出来なかった私も一般的な年齢を重ねるごとの成長はしてアルバイトをしたりサークル活動をしたりそれなりにコミュニケーションもできるようになり楽しい大学生活を送っていました。しかし勉強に関しては良い大学に入りなさいという親や先生の声と、自分を守るためにしていた勉強だったために、夢や目標はありませんでした。そして就活でことごとく落ちました。その時に気づいたんです。人の脚本(つまり物語)を生きていた結果、人生の第2ステージという社会人の荒野に放たれた時に生きていくような力を持っていなかったことに。
社会人迷走期~人生最大の挫折とメンタルを壊した経験~
何とか就職できた企業でも閉塞感や劣等感を感じながら過ごしていました。5年目にさしかかり将来に向けて転職や勉強も考え始めていた時に韓国への出向が決まりました。これも経営層の思惑が働いた組織としての人事で、人の脚本下で動かされている内容でした。海外での1人での生活と仕事、会社で一番厳しいと噂の上司との仕事、色々と迷いましたがチャレンジと思っていってみました。結果1年間でメンタルを壊して強制帰還する事になりました。そうなると人からはあいつダメだったんだなとレッテルを貼られ、会社の昇進等のレールからも外れてしまうようにも感じました。
アイデンティティ変革期~自分の物語を生きようと決意~
そこで私はようやく、「もう人の物語を生きるのをやめよう。自分の物語を生きよう」としたんですね。そして友達がFacebookで沖縄に旅行しているのを見て衝動的に石垣島に1人旅をしました。そして現地で1人旅の方と交流して飲みに行ったら非常に楽しかったんですね。そして自分にもこうやって勇気を出してチャレンジ出来るんだ。そしてその結果、こんな楽しいんだと感じたんですね。それから旅行から帰ってきたら衝動的にダイビングショップに通ってライセンスを取ったり、写真教室に通っていくと多くの自分の脚本を楽しく生きている大人達に出会いました。そしてそんな彼らと将来的に何か仕事をしたいと思い中小企業診断士の資格を取り、そこからは趣味ではなく仕事や学びのサードプレイスが出来て更に自分の視野と可能性が広がっていきました。
アイデンティティ確立期~自らが動く事を意識した日々~
そして#03でも少し触れましたが、中小企業診断士という資格を取り、新たなコミュニティが生まれ、そこでの出会いから、組織の中で主体的にみんなが楽しく働くにはどうしたらいいか?という事を考え始めて動き始めました。当時はBtoBの製造業で調達部として働いていましたが、社内で他社事例の講演会が開催され、素晴らしい取組をされている企業の方の講演を聞く機会がありました。その時「自分が目指している企業の姿はこういう企業であって、そしてそんな企業を自分のサードプレイスの繋がりから紹介出来るから、紹介したい!」と衝動的に思いました。その講演が終わってすぐに主催部署の執行役員の方に「本日はとても素晴らしい講演ありがとうございました。私はかくかくしかじか(中小企業診断士という資格を持って、サードプレイスに参加してみたいな話)で、非常に共感させていただきました。こういった企業さんやプロフェッショナルな方を紹介できると思います!」と生意気にもメールをしました。すると即答で「非常に面白いですね!話を聞かせてください!」と連絡が来て、その日の定時後に即お話をする機会をいただいて1時間程みっちり話をさせてもらいました。
その後、この執行役員さんとは社内の非公式活動ではありますが、組合を巻き込んで組織開発のプロフェショナルの方と打合せして社内研修を行おうとしたり、いきのいい若手にピンポイントで連絡させてもらって1on1で想いを伝えて一緒にオフサイト活動をしようと誘ってみたりと自部署の仕事以外の活動もするようになりました。
上司にも直接その想いを伝えて、自部署内でも部署の管理職を巻き込んで部署の活性化、社員の自律性を高める活動をしたりと活発に動いていました。
しかし私は最終的には社内で組織改革を実現する事なく途中で退職するという道を選びました。一言で表すと「自組織を変えるという事よりもより多くの組織や個人のサポートをしたい」という気持ちが強くなり、有限な時間を早くそちらに使っていこうと思ったからです。
そういった流れで2022年に独立開業をしました。
ナラティブの持つ力について~自己のナラティブ~
#01で触れたナラティブの話に戻りますと
ナラティブには「自己のナラティブの力と他者のナラティブの力」の2つがあると思っています。まず自己のナラティブの力についてお話させていただきます。
私にとって何も出来なかった幼少期、就活で現実を知った大学生時代、仕事でメンタルを壊した20代後半、この過去のナラティブは汚点でしょうか?消したい過去でしょうか?私は今となってはこれは強みで財産だと思っています。小さい頃から器用で頭も良く経験も豊富な経営者やコンサルタントはおられると思います。彼らにも彼らの強みがあると思います。しかし私のような小さい頃コミュニケーションが苦手で、人の顔色や評価ばかりを気にして、自分を守るために勉強してきて、一度会社でもレールから外れた人間でもこのように自分の道を切り拓く事が出来るという事を伝えられるのは私の強みなのではないか?そう思えたんですね。それで私はナラティブには自分を強くする力があると思っています。そして私はこうして自分が体験できたように人のナラティブを輝かせるお手伝いをするのが私の仕事と思い今ナラティブサポートという屋号でやらせてもうてます。このようにナラティブは自分の未来を創る力もあると思っています。
ナラティブの持つ力について~他者のナラティブ~
そしてもう1つのナラティブの力は他者のナラティブです。皆さんいかがでしょうか?これまでの人生でもおそらく多くの方のナラティブを聞かれたと思います。そしてまた今回私のナラティブを聞いてもらいました。皆さんの心の中に「そうそう、自分も似た経験あった。自分もそういえばそういった体験を通して変われたかも」とか「そんな風に考えていたんだ。私ももしかしたら書き換えられるかもしれない」等、色々な感情やそこから湧き出てくる行動があったかもしれません。「人は物語に動かされる」とはまさにと思います。
私の好きな言葉にアメリカの心理学者のカール・ロジャースの「最も個人的な事は最も普遍的な事である」という言葉があります。要は私の今回の話も私だけの個人的なナラティブですが、そういうものにこそ実は普遍的に皆さんの心にも何かしら響くものがあるという事なんですね。ナラティブは人を動かす力があるとそう信じています。
組織も個人のナラティブの集合体です。個人のナラティブには強みと財産が眠っています。「人は、成功や自分の望み達成するために、必要なリソースを全て持っている」という言葉が好きでこれを信じています。その個人の能力を最大化、そしてそれが組織の能力の最大化に繋がると思っています。それを実現するサポートを色々な形で提供させていただいています。
もしご興味があれば、Webサイトや他の記事もご覧いただければと思います。
HP:https://www.narrativesupport.jp/
ここまで長編を読んでいただきましてありがとうございました。