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5月、Anniversary備忘録。

私はもうすぐ誕生日を迎える。

自粛な日々の中に誕生日。だけど別にそんなことはどうでも良くて、誕生日っていうのは「祝ってもらう日」というよりは「感謝する日」になってきたな、という所感。わたしがここまで生きてこれたのは、家族や友達を始め、関わってくれている人がいるからだなあと思うのです。はいまた優等生っぽいこと言う〜というツッコミが聞こえてきそうだけど、これ本心ね。


26。


仕事も、趣味も、人生設計も色々なことを取捨選択していかなければ行けないステージに入ってきている気がするのだ。だんだん、何でもいきあたりばったりにやっていくのではだめかな、とか。時間も使えるお金も有限だっていうこと感じるようになってしまったから。リアルー。

社会人何年目、でくくったり判断するのは好きじゃないし、どれだけ何を頑張ってきたか、っていうことが大事なのはわかっているんだけど、どこかで、そろそろ良くも悪くも「若いのに」の枕詞が消えていくのかな、という気がしている。「言い訳できない」というなんだろう、少し、ハードル?あとは「それくらいのことはできて当たり前」が増えてくのかなあとか。私は、年相応またはそれ以上に人間として大丈夫かな、とか。こんなことで怒ったり落ち込んだりするのは大人じゃないのかなとか。なんか少し「こうならなきゃ」が強い。最近のワタシ。少しブルー。理想の大人の呪縛が見え隠れ。結局、承認欲求がまた強まってるな。最近、自分のことを客観的に見るメタ認知的なことができるようになってきたのはいい傾向。偉いぞ自分(笑)大人はあんまり褒めてもらえないから、自分で自分を褒めてあげないとね。

25年間、自分をしてきた中での気づき。私は、頭の中で、5人ぐらいの私が常に相談している。議長、仕事人、女子、クリエイター、のんびりさん など)
矛盾しているけど、フットワーク軽くて多動な反面、すごいのんびりしてぼーっとしてる相反する人格が自分の中にいるんだよね。幼少期はぼーっとしてる方が強かったんだけど、大人になるにつれて行動派の方が配分多くなってきてる。

モチベーションには波がある。下がっているときに、ささいなこと不満に思ってカリカリしちゃったり、悪口っぽく人に話してしまったあと、少し後悔しちゃったり、「こんなことで怒るなんてわたし器が小さいな」と凹む。なんだろう、私は感情コントロールができていないのか?って。

「私って感情的かな?」って相方に聞いてみたら、「うーん俺よりは感情が豊かだよね」って言われた。続けて、「溜められる(思ったことを隠しておける)量は人それぞれだし、溜められる人がいいわけじゃない。伝わらないのはダメだし。」と。珍しく(笑)いいこと言うじゃん。ありがとう、そういうとこ好きよ。



26歳のテーマは実行力にするわ。

今浮かんだ。
口だけ人間にならないこと。
愚痴は言ってもいいけれど、その後良くなるように行動する。

私は感情が動いたら言わずにいられないので、体に悪いから我慢はしない。だけど、文句ばっかり言って何もしない人になりたくない。聞いてくれる相手を嫌な気分にさせたくないし。

仕事が好きだ。私が仕事が好きなのは、人のためになにかをなし得ていくことに達成感と充足感を感じるから。この「現場」と、現場を支える人守るために、おかしいと感じることに声をあげられる人、組織に変革を起こしていける人になりたい。仲間を大切に。


今の気持ちを忘れたくないので、ここに残してみた。1年後、どうなっているかな?と、少しプレッシャーをかけてみたりする。



一番は、Hyggeに楽しく生きることだけどね!!

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なり
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