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一流アスリートへの三流インタビュー
大谷翔平選手の凱旋記者会見がありました。
イチローだったら皮肉の一言でも添えたのではないでしょうか。イチローは現役時代、記者にもプロフェッショナルであることを求めていたので、くだらない質問をするとよく逆質問をしていました。だから記者も気が抜けず、それなりの緊張感がありました。
しかし、日本ハムの監督に就任した新庄劇場に気がゆるんだのか、今回の大谷選手の凱旋帰国の記者会見は近年まれに見るひどい有様でした。
新庄監督は根っからのエンターテイナーなので、記者のレベルに関係なく、最初から記事になりそうなネタを提供してくれます。だから記者にとってはこれほど楽ちんなインタビュイーはいません。
しかし、ふつうのアスリートはそうではありません。いつも言葉巧みに気の利いた話をしてくれるわけではありません。
むしろ大谷選手のようにどんなインタビューにもいつも真摯に丁寧に答えてくれるアスリートは稀と言っていいでしょう。
それに比べて、メディアの記者たちの進化のなさ、レベルの低さ。もはや絶滅に向かって退化しているとしか思えません。目を覆いたく(耳を塞ぎたく)なります。
今回の凱旋帰国はアメリカで大活躍した大谷選手ということもあって、アメリカのメディアにも注目されていました。
そこで露呈した日本の記者クラブの記者たちのヘタレぶりが、海外のメディアにもこき下ろされています。
無理もありません。
せっかくの大谷選手の貴重な凱旋帰国の機会に、くだらない質問しかしないのですから。
収入の使い道? 「家を買います」「貯金します」「パーッとクラブへ行って飲みたいです」という答えでも期待していたのでしょうか?
家庭をもつタイミングは? 「実はシーズンが終わったらと考えていました」「彼女ができました」という答えでも期待していたのでしょうか? 大谷選手を苦笑させて何が楽しいのでしょうか。
松坂の引退? 大谷選手とどう結びつけたかったのでしょうか?
日本に帰って最初に何を食べましたか? それを知ってどうする?
メジャーに挑戦する鈴木誠也について? いま目の前にいる選手は大谷選手ですよ。誰に質問しているのかわかっているのでしょうか?
ほとんど大谷選手本人と関係ない質問や、当たり障りのないことしか答えようがない愚問の数々。貴重な時間の無駄遣いだし、大谷選手も本当に退屈だったと思います。
SNSでも「質問がペラペラ過ぎる」「結婚とか彼女とかの質問をやめないかね」と批判の声が炎上気味に集まりました。
質問がだらだら長いのも、記者としては基本中の基本ができていません。政治や学術関連の記者会見なら、視聴者や読者に背景を説明しておかなければならない場合もあるので、質問の前置きが長く説明的になることは少なからずあります。
しかし、時間の限られた貴重な記者会見です。相手は誰もが知る、いま日本で最も注目されるトップアスリートです。大谷選手がテキパキと楽しく、生き生きと答えられるような的を得た質問がなぜできないのでしょうか? もはや嫌がらせにしか見えませんでした。
「どのような心境でプレーし、どのようなケアをして今季の大活躍につなげたのか」「気持ちが折れそうになったことはなかったか」「今だから語れる話があれば...」など矢継ぎ早に細切れの質問をして、大谷選手に「何から答えていいかわからないですけど...」と困らせた三流記者。
まるで街頭アンケートです。
取材でもインタビューでもありません。
きっと記者会見に臨んだ記者にメジャーリーグの試合をちゃんと観ていた者はほとんどいなかったのでしょう。このだらだらと漠然とした質問をした記者も明らかに試合を観ていないでしょう。観ていたら具体的にどの試合についてかを聞いているはずですから。
試合に関する質問はほとんどなく、結果についての感想を尋ねるのみ。これが日本記者クラブのお粗末な実態です。
別に野球通にしかわからない専門的な話を聞けと言っているわけではありません。大谷選手が答えられない、あるいは答えがわかりきっている質問ばかりだからです。
これだったら毎朝、学校へ行く前に大谷選手のホームランを観るのを楽しみしていた小学生を集めて記者会見をしたほうがよっぽど有意義だったことでしょう。大谷選手もそのほうが楽しかったに違いありません。
記者クラブのヘタレ記者は小学生と大谷選手の楽しげな対話をあとで書き起こして記事にすればいいのです。それならどんなヘタレ記者でも楽しい記事が書けるでしょう。
2004年〜2011年の8年間、中日ドラゴンズの黄金時代を築いた前監督の落合博満氏は、記者の質問にまったく答えないことでメディアに不人気でした。
そんな落合氏の態度について、故・野村克也氏は対談で「あんた、もうちょっと記者に答えてやれよ」と言うと、落合氏は「だって、あいつらぜんぜん野球のことわかってないんだもん。話したってわかんないんだからしょうがない」と答えていました。
こうした落合氏の態度は極端だとしても、落合氏が指摘するようにプロ意識に欠けた記者が多すぎるのは間違いないでしょう。
みんな日本ハムの新庄剛志監督のようにお膳立てをしてくれるわけではありません。それに乗っかってラクしかしないのは記者として怠慢ですし、インタビュアーとして三流と言うしかありません。
今年、落合氏の監督時代を描いた『嫌われた監督』を上梓し、10万部を越えるベストセラーとなったスポーツライターの鈴木忠平氏は、そんなメディア嫌いの落合氏に認められた数少ない記者の一人でした。
私は『嫌われた監督』を読んだとき、まだ日本にもスポーツジャーナリズムは生き残っているという安堵感と喜びを味わいました。
『嫌われた監督』は、『28年目のハーフタイム』(金子達仁)や『敗れざる者たち(沢木耕太郎)、『江夏の21球』(山際淳司)などと並ぶスポーツノンフィクションの歴史的傑作だと思いました。
著者の鈴木氏は文春オンラインのインタビューで、こう答えています。
こうして振り返ってみると、新聞社を辞める時、フリーになった時の、組織を離れることに対する私のためらいのなさは、生来の楽天さだけでなく、落合さんを間近に見ていたことも大きいように思う。
横一列だった記者クラブの輪から一歩踏み出したことで、ひとりの記者として落合さんに認めてもらえるようになった。また、記者クラブに降りてきた情報ではなく、取材対象が自分にしか話さないことを書けば、オンリー・ワンの情報になった。すると、他の人が認めてくれた。
要するに長年ジャーナリズムにとって諸悪の根源とされてきた馴れ合い所帯の記者クラブが存続し続ける限り、いつの時代も日本のジャーナリズムは突然変異の一匹狼が現れるのを待つしかないのでしょう。