自分を見つめる試みとしての「私小説的学問/問学」へ(2022.7.29)
成田喜一郎/寺澤満春
00:00 | 00:00
「なりっちのよみききラジオ」012(新Lecture RADIO 040)2022.7.29
自分を見つめる試み「私小説的学問/問学」へ
聴くラジオ(11分14秒)
https://note.com/narisen2017/n/ndcefaa773b84
「 あなたが自分自身について学び、自分自身を見つめ、自分自身がどんなふうに歩き、どんなふうに食べ、どんなふうに語るかを見つめ、ゴシップや憎しみや嫉妬を見守る時に、そうした事をすべて自分自身の内部で自覚すれば、それは瞑想の一部となるのである。」午前5:20 · 2022年7月29日·krishnamurtibot
読むラジオ(これまでの研究-実践のあゆみ、Web Site)
① 人間(じんかん)史的文脈
・個人史の可能性:深谷克己(1991)
・ソシアビリテ論:二宮宏之(1993/1994)
・サイコヒストリー論:西平直(1993)
・人間(じんかん)史:成田(1998)
https://laotao.way-nifty.com/islikewater/files/e382b5e382a4e382b3e38392e382b9e38388e383aae383bce383bbe4babae99693e58fb2.pdf
② エスノグラフィー としての「創作叙事詩・解題」論的文脈
・社会科「叙事詩」論序説:成田喜一郎(1997)「社会科「叙事詩」論序説 : 事実認識と想像力とをつなぐ 試み」『研究集録/東京学芸大学附属大泉中学校』No.38 , pp.39 -54.
https://laotao.way-nifty.com/islikewater/files/e68b99e7a8bfefbc881997efbc89e7a4bee4bc9ae7a791e58f99e4ba8be8a9a9e8ab96e5ba8fe8aaac.pdf
・エスノグラフィー :成田喜一郎/寺澤満春作品多数「自由学園エスノグラフィー 集録」(Web Site)
https://genkaikyoukaiekkyo.blogspot.com/2021/08/blog-post_25.html
・オートエスノグラフィー :成田喜一郎(2013)「子どもと教師のためのオートエスノグラフィーの可能性 : 「創作叙事詩・解題」を書くことの意味」『ホリスティック教育研究』第16号、pp.1-16.
http://laotao.way-nifty.com/islikewater/files/e5ad90e381a9e38282e381a8e69599e5b8abe381aee3819fe38281e381aee382aae383bce38388e382a8e382b9e3838ee382b0e383a9e38395e382a3e383bce381aee58fafe883bde680a7.pdf
・協働エスノグラフィー :成田喜一郎(2017)「協働エスノグラフイー 懐かしい未来との対話:ラダックの暮らしと私たち」『ホリスティック教育研究』第20号, pp.1-20.
https://laotao.way-nifty.com/islikewater/files/natumiratotaiwa.pdf
・Poetic Ethnography :成田 喜一郎(2021-2022)
今ここでわたしのライフヒストリーの中の「インド」を詠う ―Poetic Ethnography(創作叙事詩・解題)の試み―
https://genkaikyoukaiekkyo.blogspot.com/2021/12/blog-post_11.html
(聴く・観る・読む)
③ 私小説的学問/問学論的文脈へ
・私小説(イッヒ・ロマン)
・既成のアカデミックの在り方への違和感
・私小説的文脈における研究-実践のスタイルの提唱
【Field NotesとしてのWeb Site】
・私小説(わたくししょうせつ/ししょうせつ):辞書・事典の世界
https://genkaikyoukaiekkyo.blogspot.com/2022/07/blog-post_24.html
・私小説論から私問学/学問論へ(仮)
https://genkaikyoukaiekkyo.blogspot.com/2022/07/blog-post_25.html
-秋山駿・勝又浩監修・私小説研究会編(2014)『私小説ハンドブック』勉誠出版
・小説とは何か(MEMO)
https://genkaikyoukaiekkyo.blogspot.com/2022/07/memo.html
【新聞記事(抄録)】
・伊藤氏貴(2022)「文芸時評 私小説とは何か」2022.7.27付『東京新聞』夕刊
-先月の文芸時評「私小説になった男」西村賢太追悼特集
-『文藝』2022年秋季号「私小説」特集
-私小説復権の前兆なのか
-金原ひとみの責任編集
金原ひとみ:「オートフィクション」(自伝的虚構)作品
「ウィーウァームス」が最も身体的だった。
西加奈子:「Crazy Love」の「私小説は、自分に徹底的に肉薄し、自分に起こった何ごとにもかから目を逸らさないことだと思っていた。そしてそんなことは、自分に出来ない」という嘆き。
島田雅彦:「師匠せち、死小説」の「自意識の彼岸にあるもの、それが『私』である」とはじまる「私」に関する思弁。
町屋良平:「私の推敲」の、「私は、一般的には私小説と呼ばれうるものを書くようになってから、ますます私の誤魔化しが上手くなっていた」という方法論。
千葉雅也「「私小説」論、あるいは私の小説論」で「おそらくどんな書き手でも、いったんは自分の身体を通過させる、すなわち私小説的アプローチを通る必要がある」
-伊藤氏貴「議論の中核を成す」)
-小説の思考は、一般論として正しいかどうかよりも、作者が自分一個の身体を通じて考え抜いたかどうかで価値が決まる。身体は一人一人異なるため、そこを通過することで思考もオリジナルなものになるからである。
特集の中に、六人の書き手が金原ひとみと一緒にピクニックに出かけ、そのことを書く、という企画があったのもそのためだろう。決して相互監視によって嘘つきを炙り出すためではあるまい。同じ場所で同じものを見て同じものを食べても、各身体を通じて現れる考えは異なる。その多角性が楽しめる企画である。
付け足しのようになってしまったが、『すばる』の8月号の石田夏穂「黄金比の縁」は、......。
以上、記事抜粋(いとう うじたか=文芸評論家・明治大学文学部専任教授)
自分を見つめる試み「私小説的学問/問学」へ
聴くラジオ(11分14秒)
https://note.com/narisen2017/n/ndcefaa773b84
「 あなたが自分自身について学び、自分自身を見つめ、自分自身がどんなふうに歩き、どんなふうに食べ、どんなふうに語るかを見つめ、ゴシップや憎しみや嫉妬を見守る時に、そうした事をすべて自分自身の内部で自覚すれば、それは瞑想の一部となるのである。」午前5:20 · 2022年7月29日·krishnamurtibot
読むラジオ(これまでの研究-実践のあゆみ、Web Site)
① 人間(じんかん)史的文脈
・個人史の可能性:深谷克己(1991)
・ソシアビリテ論:二宮宏之(1993/1994)
・サイコヒストリー論:西平直(1993)
・人間(じんかん)史:成田(1998)
https://laotao.way-nifty.com/islikewater/files/e382b5e382a4e382b3e38392e382b9e38388e383aae383bce383bbe4babae99693e58fb2.pdf
② エスノグラフィー としての「創作叙事詩・解題」論的文脈
・社会科「叙事詩」論序説:成田喜一郎(1997)「社会科「叙事詩」論序説 : 事実認識と想像力とをつなぐ 試み」『研究集録/東京学芸大学附属大泉中学校』No.38 , pp.39 -54.
https://laotao.way-nifty.com/islikewater/files/e68b99e7a8bfefbc881997efbc89e7a4bee4bc9ae7a791e58f99e4ba8be8a9a9e8ab96e5ba8fe8aaac.pdf
・エスノグラフィー :成田喜一郎/寺澤満春作品多数「自由学園エスノグラフィー 集録」(Web Site)
https://genkaikyoukaiekkyo.blogspot.com/2021/08/blog-post_25.html
・オートエスノグラフィー :成田喜一郎(2013)「子どもと教師のためのオートエスノグラフィーの可能性 : 「創作叙事詩・解題」を書くことの意味」『ホリスティック教育研究』第16号、pp.1-16.
http://laotao.way-nifty.com/islikewater/files/e5ad90e381a9e38282e381a8e69599e5b8abe381aee3819fe38281e381aee382aae383bce38388e382a8e382b9e3838ee382b0e383a9e38395e382a3e383bce381aee58fafe883bde680a7.pdf
・協働エスノグラフィー :成田喜一郎(2017)「協働エスノグラフイー 懐かしい未来との対話:ラダックの暮らしと私たち」『ホリスティック教育研究』第20号, pp.1-20.
https://laotao.way-nifty.com/islikewater/files/natumiratotaiwa.pdf
・Poetic Ethnography :成田 喜一郎(2021-2022)
今ここでわたしのライフヒストリーの中の「インド」を詠う ―Poetic Ethnography(創作叙事詩・解題)の試み―
https://genkaikyoukaiekkyo.blogspot.com/2021/12/blog-post_11.html
(聴く・観る・読む)
③ 私小説的学問/問学論的文脈へ
・私小説(イッヒ・ロマン)
・既成のアカデミックの在り方への違和感
・私小説的文脈における研究-実践のスタイルの提唱
【Field NotesとしてのWeb Site】
・私小説(わたくししょうせつ/ししょうせつ):辞書・事典の世界
https://genkaikyoukaiekkyo.blogspot.com/2022/07/blog-post_24.html
・私小説論から私問学/学問論へ(仮)
https://genkaikyoukaiekkyo.blogspot.com/2022/07/blog-post_25.html
-秋山駿・勝又浩監修・私小説研究会編(2014)『私小説ハンドブック』勉誠出版
・小説とは何か(MEMO)
https://genkaikyoukaiekkyo.blogspot.com/2022/07/memo.html
【新聞記事(抄録)】
・伊藤氏貴(2022)「文芸時評 私小説とは何か」2022.7.27付『東京新聞』夕刊
-先月の文芸時評「私小説になった男」西村賢太追悼特集
-『文藝』2022年秋季号「私小説」特集
-私小説復権の前兆なのか
-金原ひとみの責任編集
金原ひとみ:「オートフィクション」(自伝的虚構)作品
「ウィーウァームス」が最も身体的だった。
西加奈子:「Crazy Love」の「私小説は、自分に徹底的に肉薄し、自分に起こった何ごとにもかから目を逸らさないことだと思っていた。そしてそんなことは、自分に出来ない」という嘆き。
島田雅彦:「師匠せち、死小説」の「自意識の彼岸にあるもの、それが『私』である」とはじまる「私」に関する思弁。
町屋良平:「私の推敲」の、「私は、一般的には私小説と呼ばれうるものを書くようになってから、ますます私の誤魔化しが上手くなっていた」という方法論。
千葉雅也「「私小説」論、あるいは私の小説論」で「おそらくどんな書き手でも、いったんは自分の身体を通過させる、すなわち私小説的アプローチを通る必要がある」
-伊藤氏貴「議論の中核を成す」)
-小説の思考は、一般論として正しいかどうかよりも、作者が自分一個の身体を通じて考え抜いたかどうかで価値が決まる。身体は一人一人異なるため、そこを通過することで思考もオリジナルなものになるからである。
特集の中に、六人の書き手が金原ひとみと一緒にピクニックに出かけ、そのことを書く、という企画があったのもそのためだろう。決して相互監視によって嘘つきを炙り出すためではあるまい。同じ場所で同じものを見て同じものを食べても、各身体を通じて現れる考えは異なる。その多角性が楽しめる企画である。
付け足しのようになってしまったが、『すばる』の8月号の石田夏穂「黄金比の縁」は、......。
以上、記事抜粋(いとう うじたか=文芸評論家・明治大学文学部専任教授)