上下・左右・前後・内外・強弱の関係性にある権威・権力性を越えた「並進(Mutual translation /Mutual Reflection /Mutual Care)」への道を
🟣今朝(2024.4.23)のstandfm『よみききの世界』
「新たなる実感と確信、今ここにある関係性を越えてゆくために」(19分)
https://stand.fm/episodes/6626e314b1033a16170f142a
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昨日(2024.4.21)のstandfm『よみききの世界』
「母校のKOUKA、その波及効果がすごい!」(8分)https://stand.fm/episodes/6624a9ffe46c9a1b3715bdf7にその続きがありました。
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2024.4.22standfm『よみききの世界』
今は昔 昔は今のお話「イケてるイケさんとのつながりとひろがり」(18分)をお聴きになってください。
https://stand.fm/episodes/6625d68a79309bc7cc4fe462
私としては、単なる懐古や回顧ではなく、今は昔のお話のようでもありますが、「昔は今」のお話としてESD/SDGsという概念が登場する前に、勤務校から越境し、練馬区というフィールドに誘い出してくれた小さな人(小中高生)や元小さな人(区の職員の方々、消費生活センターに集う親御さん区民)がいました。
1990年代半ば、当時の小さな人たちが自ら命名した「環境・消費・リサイクルを考え、行動するぐるーぷ Ie2(アイツー)」が活動していた有意味性を分かち合えるでしょうか。
拙著(2023)『物語「教育」誤訳のままで大丈夫!?-Education のリハビリ、あなたと試みる!-』キーステージ21みらい新書に、しばしば登場してくる「並進」概念は、2020年のコロナ的状況下の自由学園をはじめとする私のフィールドの中から創発/創成されてきた概念です。
しかし、その概念生成の以前、1990年代半ばに学校の境界や限界を越えて練馬区に在住・在学する小中高生市民と、生活者市民・行政市民・企業市民・NPO企業市民、そしてEducator(教育者)市民が、上下・左右・前後・内外・強弱の関係性にある権威・権力性を越えて「並進(Mutual translation /Mutual Reflection /Mutual Care)」していた、相互性(Mutuality)に裏打ちされた数年間の実践事例があったことに気づかせてくれます。
あの頃の小中高生(小さな人たち)も今では、元小さな人として親御さんになったり、おそらく《まなくらしごと(学びと暮らしと仕事)》をなさっておられるはずです。
Educationとは、上下・左右・前後・内外、強弱の関係性にある権威・権力性を越えて相互に並進しながら、「涵養成る/化育なること」(成田試訳案)。長きわたる時空間・人間(じんかん/ひとあい)のフィールドで営まれることなのではないでしょうか。
学校園や大学・大学院などの機関だけではなく、多世代・多職種・無職の生活者市民/住民(外国籍の方々をも含むInhabitants)のおられるここかしのフィールドにあるEducationとは何か、今、その危うさに通底することは何か、自らこれからを見通すために問い直すことなしに、Educationのリハビリ(復権)は行い得ないのではないかと思っています。
どんなに新しい理論やコンテンツ・スキルを持ち込んでも、これまでの関係性「観」に潜む権威・権力性、時に暴力性を越えることは不可能なのではないでしょうか。
それをせずして、ドラスティックなTransformationなど期待できないと思う日々です。
しかし、あなたと私との小さな《まなくらしごと》のあるフィールドからリハビリをしてゆくほか道はないのかもしれないと思い、今ここ(自宅の書/倉庫や地域)でささやかな試みを続けています。あまり残された時間は長くはないかもしれませんが。
参考文献
・成田 喜一郎(2023)『物語「教育」誤訳のままで大丈夫!?-Education のリハビリ、あなたと試みる!-』キーステージ21みらい新書
https://www.keystage21.co.jp/
・成田 喜一郎(2017)「オートエスノグラフィー「ライフヒストリーの中の環境教育」 : 「史的環境教育学」への誘い」『環境教育学研究 : 東京学芸大学環境教育研究センター研究報告』(26): 159-180.
https://laotao.way-nifty.com/isli.../files/autoethno2017.pdf
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