イミシブル・ディスコード、ザムザ考察

はじめに

「イミシブル・ディスコード」のイベストと、書き下ろし楽曲の「ザムザ」を見て聞いて、色々感じるものがあったので考察を交えながらまとめました。

⚠️あくまで個人的な考察のため、記載している内容が100%正しいとは思っていませんし、単語の意味も自分が考察する上で都合の良いものを選んでいます。
「こういう見方、考え方をしたんだな~」くらいに捉えて頂けると嬉しいです。

考察

イベント名について

まずはイベント名の「イミシブル・ディスコード」の単語の意味をそれぞれ調べました。
イミシブル(immiscible)→混ざらない
ディスコード(discord)→不和(気持ちが合わないこと)、不一致
混ざらない・気持ちが合わないというのは、奏とまふゆの母親のことだと思いました。

また、ナイトコードがまふゆの母親に見つかったことがストーリーでも重要なシーンだと考え、「ディスコード」という単語がイベント名に選ばれたのは、多くの人がコミュニケーションツールとして使用している「discord」と掛けてるのかなと思ったり。

楽曲について

MV(てにをはさんが投稿したもの)に林檎や虫が描かれていることから、この曲はフランツ・カフカの『変身』という小説をモチーフにしたものだと考えました。この小説の主人公が、グレゴール・ザムザという人物です。

『変身』を読むと、林檎や虫がキーワードなことが分かります。以下簡単なあらすじです。(下のサイト参考)

ザムザは父母の代わりに家族を養うため働いていたが、ある日巨大な毒虫になってしまう。
ザムザは自室に隔離されて妹に世話をしてもらっていたが、仕事帰りの父親に林檎を投げつけられ、身体に重症を負ってしまう。
ザムザは最期に家族の姿を目にして、自室で家族愛を思い出しながら息を引き取った。

歌詞について

【】内が歌詞、〖〗内がイベストと照らし合わせて考えた解釈、という形で表記してます。
歌詞の中で1番が『変身』の主人公ザムザとまふゆを重ねたもの、2番がニーゴに関するものが多いと感じました。

♩1番
【使い古した自分の名前にあえてキッチュなルビを振って】
キッチュ→ドイツ語のkitschに由来し、まがいもの(偽物)の意味。この言葉には差別的な見方や考え方が多少含まれる。

〖まふゆの母親は、娘である朝比奈まふゆという存在に「小さい頃からとても優しくて、真面目ないい子」という理想の意味をつける。母親の理想の意味をつけられているため、まふゆは『本当の自分』を見つけることができていない。〗


【今はどんなふうに見えてますか?醜いですか?それはそっか】
【どうか林檎を投げつけないで胸にLock up Lock up ザムザ】
林檎の花言葉→優先、好み、選択(花言葉は他にもありましたが、今回は上記のものを挙げさせて頂いております。)
Lock up→閉じ込める

〖まふゆの母親にとって、勉強を疎かにしてまで音楽をやりたがるまふゆは醜い存在であり、林檎を投げつける(母親が選択したものをまふゆに強制させる)ことによって、まふゆは自分の想いを胸に閉じ込めてしまっている。〗


【「鏡をご覧」誰かが囁く うまくいったら儲けものさ】
【甘い言葉も笑顔も通じない走り出したらもう獣だ】
儲けもの→思いがけなく得た利益、拾いもの

あらすじにも書いた通り、当初家庭内で働いていたのはザムザだけでした。ザムザは家庭で唯一の儲けものとして扱われてる一方で、ザムザ本人は獣になって現状の生活から逃げ出したかったのではないかと考えます。
〖まふゆもザムザと同じように本当は逃げ出したいと思っており、いくらお母さんに微笑まれても(期待をかけられても)本心は何も感じていない。〗

♩1番サビ
【誰だって魂辛辛】
魂→体の中に宿って、心の働きをつかさどると考えられるもの
辛辛→生命の危険から逃れて振り返った時、そこにほとんど余裕がなかったさま

「いのちからがら」という言葉をよく耳にする中、わざわざ「魂」という単語を選んでいることにも何か意味があるのかなと思いました。
〖誰だって心の余裕がほとんどないさまである。〗
→これはまふゆに限らずニーゴ全員に当てはまりそうだと考えました。



【痛みと怒れる人を喰らったったらった】
怒れる人(ラングラー)→言い争う人、口論する人

ここで「食う」と「喰う」の言葉の違いが気になり、調べてみました。
「食う」の場合は楽しんで食べるというニュアンスが含まれるが、「喰う」はそれより生きるための食事というニュアンスの方が強くなっている。また「食う」よりも豪快で生々しい感じが強調される。

〖自分が生きるために、心の痛みと口論する相手(まふゆの母親)を喰らえ。ニーゴKAITOの言葉を借りるなら、(母親に)噛みつけ。〗


【だのに何故だろう今もズキズキズキって】
だのに→先行の事柄に対し反するものを述べる際に用いる

先行の事柄とは、この場合「母親に噛みつけ」ということ。
〖現状を変えるためには母親に噛みつくべきだが、自分のお母さんにそんなことできるわけがないというまふゆの葛藤。〗


♩2番
【否定形の笑顔でも欲しくてニンゲン様なりきってる亡霊】
亡霊→死者の魂

ここで気になるのは、人間が「カタカナ+様付け」の表記で書かれていること。同じ人間なのに、1歩後ろから人間のことを嘲笑っているみたいに感じました。
〖お母さんが自分のことを想ってくれているから、期待に答えないといけないという表向きのまふゆの姿。しかし魂(心)はもう死んでいて、実際にはお母さんが理想とする人間になりきっているだけである。〗


【自分の弱音に相槌ばかりだった】
【当然あなたとまともにケンカもできなかった】
相槌→相手の話にうなずいて巧みに調子を合わせること

〖まふゆは現状お母さんの意見に合わせるだけであり、お母さんと争うことはできなかった。〗


【変われそうにないやいや】

1番のサビ前(同じ箇所)の「変われ」に対比する歌詞だと思いました。
〖ニーゴKAITOが「変われ」(👈🏻イベストでそういうセリフは無いですがニュアンス的に)と言っているのに対し、まふゆは「変われそうにない」と踏み切れてない様子。〗

♩2番サビ
【冗談じゃない夢を食べないで】

夢を食べるという言葉、1番サビと同じ「喰」ではなく「食」の言葉が使われていることが気になりました。
よく耳にする「夢を奪う」や「夢を潰す」ではなく、「夢を食べる」という言葉を選んでいるのも意味があるのかなと思いました。そして悪夢を食べる動物として、よくバクが挙げられます。
まふゆの母親にとって悪夢を「食べる」ことは普段の食事のように慣れ親しんだ行動であり、ここでいう悪夢はまふゆが母親の理想像である「小さい頃からとても優しくて、真面目ないい子」では無くなってしまうことだと考えました。
〖まふゆは、お母さんの悪夢が無くなること(お母さんの理想像を強制されること)を冗談じゃないと嘆いている。〗


【小洒落た絶望を歌ったったらった】

この「こじゃれた」の意味は2つあると考えており、1つ目は歌詞通りの「小洒落た(ちょっとしゃれた)」の意味でまふゆの母親視点。2つ目は「小戯れた(ふざけた、くだらない)」の意味でまふゆ視点だと思いました。
〖ちょっとしゃれた/ふざけた 絶望を歌う。〗


【どうしようもない成れの果てでも】

繰り返し部分をを除いて唯一2回出てくること、インストの音の重ね方が他のサビ部分と違うことから、てにをはさんが大事にしている歌詞なのかなと思いました。
内容については後で触れます💭


♩Cメロ
【あとがきで触れられもしない日々】
【ここで逃げ出したら本当にそうなりそうだ】

あとがきで触れられない
→後に残らない
→表に出さず自分の中だけで完結させてしまう
この歌詞について以上のように考えました。
〖ここで逃げ出したら、自分の想いを表に出さないでそのまま終わってしまう。〗


♩ラスサビ
【林檎をかじるように】

1番Aメロの「林檎を投げつけないで」という歌詞から、この「林檎をかじるように」になったの大きな変化だなと思いました。
〖林檎(母親が選択したもの)をかじる、母親に噛みつく。〗


【どうしようもない成れの果てでもここにいる】
どうしようもない→他にどうすることもできない、救い難い
成れの果て→(悪い方に)なり果てたところ

今回奏とまふゆの母親が実際に会って物語は進展しましたが、「まふゆを救う」という観点では問題は全然解決していません。さらに今後まふゆの母親がどんな行動を起こすのか分からないので、「どうしようもない成れの果て」という言葉が使われたのかなと思いました。
〖まふゆが救い難い成り果てたところにいても、そんな状況でも、ニーゴのメンバー(特に奏)はセカイorまふゆのそばにいる。〗


【シャガの花に毒されても】
シャガの花言葉→反抗、友人が多い、私を認めて(下のサイト参考)

それぞれの花言葉をまふゆに当てはめてみました。
反抗→まふゆが医者になるという夢より音楽活動を優先したいということ
友人が多い→学校でのまふゆはしっかり者で頼りになる存在で友人が多い
私を認めて→まふゆは自分のやりたいこととお母さんの理想のどちらに従えばいいか葛藤しているが、本当は自分のことを認めて欲しいと思っている
〖まふゆの母親から悪影響を受けても〗

余談
奏の星4イラスト内で籠の中に紫の蝶が描かれています。
シャガの別名に胡蝶花があり、母親に毒されてしまったまふゆ(=シャガに毒されて紫色になってしまった蝶)を奏が守ってるように見えるなと思いました。
他のカードにもシャガが描かれているのでぜひ見て下さい。

灯る、決意


【光は1時の方角にある】

1時=25時。つまり、
〖まふゆの光はニーゴである。〗


【今は尻尾を引き摺りゆけ】

1番サビの「派手な尻尾を引き摺りゆく」という歌詞から、語尾が命令系になったのも大きな変化だなと思いました。
派手な尻尾は毒虫の特徴であり、毒虫となったザムザは家族から受け入れられない存在となってしまった。
〖家族に本当の自分を否定されても懸命に今を生きろ。〗

まとめ

先程も述べたように、物語は進展しましたが「まふゆを救う」という観点では問題解決してないのが現状です。
奏は、まふゆの将来のことにまで口を出す資格があるのかと悩みますが、まふゆの母親との会話を経て今後まふゆのためにできることを考えていこうと決意します。
『変身』の主人公ザムザは家族愛を思い出しながら亡くなりますが、まふゆは本当の家族愛に触れることはできるのか。初登場のニーゴKAITOは今後どのような影響を与えていくのか。奏との会話を経て、まふゆの母親はどのような行動を起こし、まふゆはどうなってしまうのか。
落ち着けない部分が沢山ありますが、最終的にはニーゴ全員が幸せな結末を迎えることができるよう祈っています。

感想

初めて曲を聞いた時から、この歌詞はこういうことを表現しているんだろうなって大まかな考えはありましたが、実際に1つ1つの歌詞に焦点を当てて考えてみると凄く奥が深くて驚かされることばかりでした。あとやっぱり、てにをはさんは言葉選びが上手だなって思いました。素敵な書き下ろし楽曲をありがとうございますの気持ちです。