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問いをたてることと樹の幹について
2020.06.21 モリゼミvol.2
私は問いをたてることに苦手意識をもっている。
昔から「素直だねー」と言われて育ち、そうあろうとしているのかどうなのか、何でも「ほう、そういうものかぁ」と受け入れる。
スポンジのように受け入れることは得意で、ストレングスファインダーでも収集心が一番。
仕事でも、引っ掛かるフックがすくないようで、先輩に指摘されて「あぁ、確かに」と思う。
自分の意見がないということなのかもしれない。
でも、ヨノナカについて考えるときに、なんでこうなっているんだろう?って問い(モリゼミであればリサーチクエスチョン)を立てることは、自分で道筋をたてることにつながるなぁと思った。
大学のときにもやってたはずだけど、2年間働いた後でもう一度やると刺さりかたがちがう。
がんばって問いをクリアにしないと!と思ったのが今日の心に残ったことひとつめで、もうひとつある。
森先生が研究の進め方の方向性のなかで、進め方を樹に例えていた。
例えばオランダで言うと
「多様性」という大きな幹があって、そこからアートや教育という枝葉がある
ということらしい。
大きな幹(軸)からどう枝葉を伸ばしていくか、そこから問いをどう産み出すか。
果実(どうやって社会実装させるか)を収穫し、多くの人におすそわけができるように、エストニアチームでもデンマークチームでも間伐(つまり問いの整理と取捨選択)をしていければなぁと感じた。