Feel度Walk & 知図 と名づけて広まりつつある作法は、決してオリジナルではない。江戸時代から明治・大正・昭和へと受け継がれてきた方法論であると言える。
その中でもこの人はという人を挙げれば、KJ法で知られる川喜田二郎先生であろう。
縁あって、月刊中央公論の書評記事として、中公新書を代表するベストセラーのひとつ『発想法』を再評価する文章を書いた。
そこでキーワードとしたのが
外部探検
である。
川喜田先生は、最初の取材活動を「探索検問」略して「探検」と呼んでいた。その後、データ化するプロセスで「野外観察」を行い、集めたデータに語らしめ、アイデアが自ずと立ち上がってくるプロセスこそ「アブダクション」と考えた。『発想法』で書かれたW型問題解決モデルの前半が「野外科学」なのである。
では、「探索検問」とはどういうものなのか。そのあたりが『発想法』でははっきりしない。ところが昨年、川喜田二郎の第1回移動大学にも参加し、一番弟子である國藤進(北陸先端科学技術大学院大学名誉教授)先生にお話をうかがったとき、下のスライドを見せてくれた。
「探索検問」とはいうものの、まずはラウンドゼロのテンベア(ぶらぶら歩き)から始めることが肝要だったのである。テンベアとはスワヒリ語で「放浪」。まさに Feel度Walk から始めていたわけである。
何かの役に立ちそう、目的にかなっていそうをまずは手放す。
なんとなく気になる
ことを道々集めてゆく。するとその結果楽しくなってくる。だから「道楽」なのだ。「道楽」は際限がないので、本業を圧迫する恐れがある。ただの遊蕩に見える。だから戒められてしまう。しかし、今の私たちに決定的に欠けているいるのは、ゆるりと道楽する姿勢ではないだろうか。
有機的な全体をなす現実そのものになりきることによって、かえって現実の主となる。それが川喜田二郎が目指した野外科学的方法である。となると「道楽」として脈絡もなく「没入」する感度=Feel度が大事になるだろう。
テンベアラウンドというFeel度Walkの下支えがあって、「腰のすわった」フィールドワークができる。「ワーク」を支えるあてもなき「ウォーク」。「フィールド」での観察力を高める「 Feel度」。この二つはコインの表と裏で、常に一体となっている。どちらが先で後ではなく、常に両輪をまわしてゆく。
ここで集まった気になる発見を素直に描いたものが「知図」だ。まだ海のものとも山のものともわからない素材だが、私たちのなんとなくセンサーがとらえたもの・ことの中に価値が潜んでいる。その自分なりの価値をお互いにシェアし、語りあう。それを仲立ちするのが「知図」だ。
同じ場所を同じ時間歩き、ともに見出した何かをあからさまに見せ合うとき、
「あ!そんなことがあったか!」
「こりゃあ面白い!」
という風に「発見集団」としての喜びと幸福感に満たされる。これが「創造的行為」で結ばれるということだろう。
今、一番失われているのは「外部探検」。まずはそこから始めてみようではないか。