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育児と「生きててよかった」と思う感情は因数分解しなくてもいいかもしれないと思う理由

「生きててよかった」
と思う瞬間があったとして、

「なぜ、こんな感情になったのか、因数分解して考えてみたい」
なんて、思ったことはあるだろうか。

と、考えてみました。結果、

「嬉しいときは嬉しい。」でいい気がする、というのが、今日の結論です。

先日、パパのインタビュアーをされている方とお話をする機会がありました。

インタビュー自体は面白くて、

特に、僕が1時間かけて話したことを5分にまとめて、僕の代わりに(なりかわって)話してくれるパートとか、圧巻でした。

で、最後の振り返りの時に「何かありますか?」と聞かれたので、

「答えていて心地よくなかった瞬間があったのですが、それがなぜだか言語化できなくて困っています。」

という話をしました。で、

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▼理由がわかりました
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おそらく、

幸せな状態を因数分解しようとしたから、だと思った、というわけです。

例えは、独身時代、僕がマレーシアにいたときに当時好きだった人(現在の妻)が会いに来てくれたことがありました。

あの瞬間ぼくは「幸せだなぁ」とか「生きててよかったなぁ」と思ったわけですが、その理由を言語化したいとは思いませんでした。

一方で、独身時代はやさくれていたときもあったわけで、何かにつけてイライラしていました。今振り返ってみると、あのときに、

「自分は何にイライラしているのか?」
を因数分解して言語化できていれば、あの時の状況を冷静に見つめることができたのかなぁとも思います。
(ただし、理想と現実のギャップを埋めたくても埋める方法がわからなかった当時は、それはそれで荒ぶっていました)

話を戻します。

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▼インタビューで言語化したいこと
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これはたぶん、理想と現実のギャップの間にある言葉なのかなぁと。

言い換えると、理想と現実のズレがない部分については言語化しなくてもよい(あまりしたいと思わない)のに対し、

理想と現実がずれている部分についてはその原因を言語化することに価値がある(ズレを認識できる)
のかなぁと思いました。

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▼まとめ
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・幸せな感情は因数分解しなくてもいいかもしれないけど、マイナスの感情は言語化すると、自分がどこに悩んでいるか分かる(ことがある)

・理想と現実のズレがあるかどうかを(自分で)判断できることがパパインタビューの価値。(だとぼくは思いました)

パパのインタビュアーサナフミさんとのご縁でした。



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