カンボジアで出会った花売の少女と西野亮廣講演会を主催するぼく
「花を、買ってくれませんか?」
夜のカンボジアの町を、ボロボロの韓国車で走っていたぼくが信号待ちをしていると、5,6歳ぐらいの少女が話しかけてきました。
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▼買ってもいいだろうと思うぼくと、絶対に買っちゃダメだと考えているぼく
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花の値段も1ドルとかそれぐらいなので、150円とかそれぐらい。花もきれいにラッピングされている。
ぼくがその花を買うことで、花売の少女が生活できるなら、それでいいだろう。
でも、、、とぼくが迷っていると、助手席に座っていた友人(カンボジア人)が、さっとお金を渡していました。
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▼カンボジアだからなんとも思わなかったけれど
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カンボジアの町だから感覚がマヒしていたのかもしれませんが、もし日本に置き換えると、
・夜の町を、
・5,6歳の女の子が一人、
・きれいにラッピングされた花束を売っている。
・しかも、信号待ちをしている車の窓越しに話しかけてくる。
こんな状況、ぼくは日本では出会ったことがありません。
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▼少女から「花束を買ってはいけない」とぼくが考えた訳
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別に、お金が惜しくて
「きれいにラッピングされた花束を買いたくない」
と言っているわけではなくて、
ぼくがお金を渡して花束を買うとすると、この先どうなるかを考えました。
おそらく、きれいに包装された花束を見る限り、少女が自分ひとりで用意した、とは思いにくいです。
おそらくは両親、もしくは、別の誰かが(ブローカーとか)が、用意した花束を、
「少女に売りに行かせた」
と考える方が、自然な気がします。
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▼もし仮に
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もし、仮に「両親が売りに行かせた」とすると、ぼくが渡したお金は少女の両親のもとに行きます。
その両親は、そのお金を生活費に使うでしょう。少女の食費にも回るかもしれません。
それはそれでいいことだと思うのですが、ちょっと立ち止まって考えると、まずいことが起きそうです。
それは、
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▼両親が、少女を働かせ続ける
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もし、自分の子どもが花を売ってお金を稼げる、となると、その子を学校に行かせるでしょうか。
「学校に行かせても、一円にもならない。それならば、花を売ってお金を稼いで来てもらおう。」
そう、考えても不自然ではない気がします。
実際、カンボジアのプノンペン(首都)には、バックパッカーが集まる街があり、そこの飲み屋街から一本、裏通りに入ると、
髪の毛の色が違う子どもたちが、素っ裸で走り回っていました。
(ぼくが、実際に見た光景です。)
あそこで出会った子どもたちが学校に行っているかどうかはわかりませんが、少なくとも、
真っ昼間から、裏路地を走り回っていました。
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▼一方で、講演会を主催しているぼく
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ぼくが子どもの頃、
「深夜に花を売りに行ってくれ。」
と両親から言われたことはありません。
普通に、小学校にも行かせてもらいました。
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▼一方で
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一方、カンボジアの片隅で出会った花売の少女は、
講演会を主催する、なんてことは、一生ないと思います。
ぼくが講演会を主催できているのは、
・ぼくが日本に生まれ、
・小学校にも中学校にも行かせてもらい、
・深夜に花束を売りに行かされることもなく、
・毎日の食事を用意してもらい、
・毎日、安全に寝ることができる家を用意してもらったから。
だと思います。
カンボジアの花売りの少女には、到底こないだろうチャンスをいただいています。
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▼ぼくが考えていること
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今、自分が挑戦できているのは、環境のおかげであり、決して当たり前のことだとは思っていません。
挑戦したくても、できない人たちがたくさんいることを理解し、与えられた環境に感謝しながら、過ごしています。
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▼ぼくも、教育に関わる一人として
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あのときに出会った少女には、ぼくは何一つしてあげることができませんでした。
やっぱり自分の力不足を感じましたし、今でも、
何を、どうしてあげれば、あのときの少女を救うことができたのか、わかりません。
ただ、今の自分にできることは、教育に関わる人間として、
「目の前の子どもたちに、自分ができる最高の教育をして、次の世代につなぐこと」
だと思っています。
微力ですが(本当に微力ですが)、そうすることで、あのときに出会った少女を救うことにつながると思っています。
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▼ぼくが西野亮廣講演会を開くことの意味
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僕が講演会を開くことで、
西野さんの話を聞いた誰か一人でも、
・今までの自分より、ちょびっとだけ周りのことを考えたり、
・ちょびっとだけ、よりよく生きようと思ったり、
・なんだか前よりも、やる気が出た。
と思ってもらえると、嬉しいです。
そのために、今回の講演会を開催しました。
もしよければ、ぼくと一緒に、
人生を少しでも明るくするきっかけ、見つけに行きませんか。
【西野亮廣講演会in広島県福山市】
https://hiroshima-kouenkai.peatix.com