自己紹介

エッセイ集「消息」の発売に先駆けて、2019年の4月に書いた第1話「自己紹介」を、Noteで無料公開します。もし気に入ったら、ぜひこの予約リンクから本を購入してください :)
https://www.shinchosha.co.jp/order/356031


自己紹介


小袋成彬
2019年4月5日

 私は1991年4月30日に日本の埼玉県浦和市(現在のさいたま市浦和区)で生まれました。小さな会社を経営する父と高校教師の母、そして現在は小学校教師をしている年子の妹の4人家族の長男です。昔から音楽が好きで、小学生の頃から塾帰りにTSUTAYAのCDコーナーに足繁く通い、曲をMDに焼いてプレイリストを作っていたのを覚えています。10歳の時にアコースティックギターを始め、名曲のコード譜をまとめた自作のスクラップブックを作って練習していました。中学受験で立教新座中に進学し、高校まで野球に真剣に取り組んでいました。野球はレギュラーメンバーになれるほど上手ではなく、むしろ歌が得意だったので声がよく通るという理由で、盛り上げ要員として重宝されていました。

 大学時代は厳しかった高校野球の反動から、フラフラしながら生きていました。大学の2年目が始まる直前に東日本大震災が発生し、始業が1ヶ月遅れたことがきっかけでニューヨークへ遊びに行きました。それから一人で海外旅行をするのが趣味になり、レストランのバイトで貯めたお金でスペインのバレンシアでトマト祭りに参加したり、シンガポールのホステルで夏休みを過ごしたりしました。自分が何になりたいのかはっきりしないまま臨んだ就職活動では結局内定をもらえず、逃げるように浦和の実家を出て、東京の茗荷谷にある林泉寺に住み始めました。ガスも冷暖房もないボロボロの宿舎で、建物の取り壊しが始まるまでの1年間だけ下宿させてもらい、墓地に囲まれながらひたすら音楽を作っていました。お金はほとんどありませんでしたが、今と変わらず楽しい日々でした。

 大学卒業後はN.O.R.K.という音楽ユニットを続けながら、バイト先の居酒屋の店長の紹介で大阪の小さな商社に就職しました。その会社では主に中国産のスマホアプリの翻訳と販促プロモーションを担当していました。出張先の北京でソフトウェア開発の現場に立ち合ったり、ホーチミンでは現地オフィスの立ち上げを手伝ったりと、事業拡大のためにアジアを中心に飛び回りました。

 2015年の春に世田谷へ移住して、自宅の近くにあったデザイン会社に転職しました。その頃はひどく貧乏で、朝は日雇いの派遣社員として引越しや解体現場の仕事をしながら、昼間はデザイン会社でアシスタントディレクターとして雑務をこなし、夜中に眠い目をこすって音楽制作をする毎日でした。2年間で積み立てた貯金を使って、音楽プロデューサーの友人と一緒に株式会社 Tokyo Recordings(現在の株式会社TOKA)を設立、いよいよ音楽活動に本腰を入れ始めました。1日3時間しか寝られない日々が1年くらい続きましたが、やがてCM音楽の仕事を貰えるようになり、新人アーティストの楽曲アレンジも手がけ始めました。自分の仕事が音楽業界内の耳に入り始めたのか、宇多田ヒカルさんから楽曲に参加してほしいとのオファーをいただいて、初めてレコーディングでロンドンに行きました。そのことを上司や同僚にずっと隠していた私は、彼女の新しいアルバムの情報が解禁されるまさにその日、世田谷のデザイン会社を退職したのでした。

 私の名前がシンガーとして一気に広まると、周りの人から次第に「もっと歌ったほうがいいよ」と背中を押され始めました。ちょうど自分の曲を作り始めたタイミングで、そのデモ曲がソニー・ミュージックの目に留まり、ついに2018年4月メジャーデビューを果たしました。日本全国の音楽フェスを行脚しながら、津々浦々のラジオに出演し、朝のテレビ番組で歌を披露することもありました。

 やがて人前に出ることがあんまり好きではないことに気がついて、休暇も兼ねて東南アジアを3週間ほど一人旅していました。クアラルンプールやジャカルタで現地のアーティストと一緒に遊んでいると、流暢な英語でラップをする彼らのスキルに驚いて、いつか自分も海外を拠点に音楽を作りたいと思うようになりました。せっかく挑戦するならメジャーリーグだろうということで、旅行先のマニラのホテルで早速英国ビザの取得の準備を始めました。そしてついに今年の2月、ロンドンへ移住を果たし、新たに住み始めたシェアハウスの一角で、今この原稿を書いています。

 こうして人生を振り返ってみると、新しい世界に飛び込むことで自分の人生が彩られているみたいです。ロンドンでの新生活も始まったことですし、ありのままの体験を書き留めておきたくなりました。そういうエッセイにしようと思っています。

 ブレグジットを間近に控え、社会情勢は混迷を極めるばかりですが、そういう状況に身をおいてもなお明るい未来を夢見て、人生を謳歌したいものです。

 ではまた次回。

小袋成彬