永青文庫(東京都文京区・早稲田駅)
早稲田大学から歩いて少し、神田川を挟んだ向かい側にあるのが肥後細川庭園。細川氏の大名屋敷があった敷地がそのまま庭園として利用されている。かなりの高台を登った先にあるのが永青文庫。細川家にまつわる美術品の展示を行なっている。
今回の企画展は代々の細川家に仕えた筆頭家老・松井家に関わる展示となっている。戦国最強の家老とも呼ばれた松井康之。戦国時代の家老といえば、たとえば上杉家に対する直江兼続、伊達家に対する片倉景綱あたりは各メディアでも登場するけれど、彼らに比べると大名家のナンバー2としてはあまりメジャーな人物ではない気がする。ただその実績は細川家の主である織田信長や豊臣秀吉からも一目置かれていたといい、実際にその織田・豊臣本人からの手紙も残されている。※豊臣秀吉に関していえば、大体ナンバー2を直臣に取り立てて勢力を削ろうと画策する事例が多い。それだけ細川家が有力だったことが窺える。
4階の展示室では松井家の肖像画から細川家との関係をひもといており興味深い。また、肥後細川家というと宮本武蔵が一時期お世話になっていたことでも知られており、宮本武蔵の書画も展示されている。九州にある松井文庫からの収蔵品も多数あり、その中には重要美術品とされている『達磨・浮鴨図』もある。
階段を降りてもともとは蔵だった部屋を改装した3階の展示室では織田信長・豊臣秀吉からの手紙の他に、主君だった細川忠興からの手紙、うさぎのような耳が特徴的な兜、それに茶器も紹介されている。中でも興味深いのは、松井康之(家老)と細川忠興(主君)のやりとり。余剰米をどう使うのかか、という松井康之からの問い合わせに対して、水害に遭った民衆へ配るように、と返答した細川忠興の息の合ったまるで示し合わせたかのような丁々発止の取り交わしが微笑ましい。また、松井家の二代目である松井興長による細川家四代目の細川綱利に宛てた諌言状。相撲に興じた主君を諌めるために書かれた内容であるにもかかわらず5メートルにも及んでいる。階段を降りた2階の展示室ではその原文と現代語訳も紹介されている。めちゃくちゃ長くて笑う。
2階の展示室では戦国時代ならではの茶の湯についての紹介。細川忠興が千利休の弟子だった関係もあり、利休から松井康之に宛てた手紙や、千利休が所持していた茶器『利休尻ふくら』、同じく利休の弟子であった古田織部の作った茶杓などが展示されている。
展示室内は変わらず撮影はできない。これまで何度か足を運んでいた永青文庫だったものの、今回は受付の方が今までにないくらい丁寧な応対で癒される。トイレは安定のウォシュレット式。