弥生美術館(東京都文京区・根津駅 谷崎潤一郎をめぐる人々と着物)〜竹久夢二美術館(同上 30のキーワードでひもとく竹久夢二展)
東京大学の目の前にある弥生美術館。明治から戦後にかけて活躍した挿絵画家の作品を中心に展示している美術館である。隣接する竹久夢二美術館とつながっており、こちらもまた挿絵画家で名を馳せた竹久夢二の作品を中心に展示している。
訪れたのは何年振りになるだろうか。なかなか機会がなくて来ることができなかったものの、今回ようやく目処がたって久々の訪問となる。
時間指定予約制となっていたため事前に予約して来訪。来場者が少ない時には予約がなくても入れるようだが、一か八かの勝負にでるなら事前に予約する方が賢明である。
今回の企画展は谷崎潤一郎をめぐる人々と着物、と題して、谷崎の小説に出てくる人物とそのモデルとなった実在の女性にスポットを当て、作品からイメージされる着物をアンティーク着物で再現して展示している。
中河与一による『探美の夜』という小説と田代光によるその挿絵で谷崎の人生をひもときながら、壮絶なインパクトを放ったその生涯をたどるような展示構成となっている。館内は3階建てで、1階と2階が企画展にあたる。
生きていればノーベル文学賞も夢ではなかったとされており、その文章の美しさもさることながら、とにかく耽美と変態性には定評のある谷崎。その作風の源となったといっても過言ではない様々な女性たちとの浮名は現代ではとてもじゃないが受け入れられないこと想像に難くない。
妻の妹に入れあげて妻と不仲になり、その境遇に同情した佐藤春夫に妻を譲ることにしたが、件の妹から結婚を断られて「やっぱり妻は譲らない」と撤回して佐藤春夫と絶縁。数年の後にやはり譲ることにして声明文を発表する、という常軌を逸した行動をやってのける谷崎。その後に再婚するも3年で破綻し、同棲していた別の女性と3度目の結婚をしている。そんな破天荒な人生なのに小説家としての評価は揺るぎないというのがなんとも恐ろしい。
3階では常設展示として高畠華宵の作品を展示している。今回はイベントとして『大正オトメ御伽話』というアニメとのコラボレーションを行っている。高畠華宵は本当になんというか魅惑的である。男性を描いた絵には衆道の気配が漂っているし、女性を描いた絵はファム・ファタールの色気が溢れ出ている。実際にサロメを描いた絵もある。
弥生美術館を設立した弁護士の鹿野琢見は、少年の頃に高畠華宵の作品に出会い惚れ込んだそうで、晩年の高畠華宵(人気も落ちて過去の人になっていた)を見つけ出し、ブームが再燃するきっかけを作った人物。現在も色々な場所で高畠華宵の作品を見ることができるのはこの人の尽力があったからこそ、といっても過言ではない。
2階にあるトイレは洋式。小用の便器には珍しいタイプの芳香用サニタイザーが備えられている。めちゃくちゃいい匂いがするのが印象的である。
弥生美術館の2階から、渡り廊下を通るとそのまま隣接する竹久夢二美術館へと行ける。初めての人は展示室の続きと思うかもしれないくらい密接に繋がっている。
今回の展示では「ふるさと」「詩人」「恋」など30のキーワードを用いながら夢二の生涯をたどる展示をしている。とてもわかりやすく挑戦的な展示方法だった。ちなみに夢二はペンネームで、画家の藤島武二に憧れ同じ音読みになることから夢二と名乗ったらしい。
竹久夢二もまた、その作風で世の寵児となり谷崎に引けを取らないくらいに浮名を流した人物である。かつてこの本郷の地には夢二が滞在した菊富士ホテルがあったという。菊富士ホテルで愛人たちと逢瀬を重ねた夢二。絵の源泉となるのは女性たちとの恋によるものなのかもしれない。描かれる女性の絵はどことなく夢二と関係のあった女性たちの面影が残っている。
何人もの女性との浮名があったが、竹久夢二をめぐる女性で有名なのは主に3人。唯一の妻となり子供を3人産んだ岸たまき、夢二のファンとして出逢い愛人となり、その短い生涯もあって夢二が最も愛したといわれる笠井彦乃。彦乃の死の翌年、絵のモデルとして知り合い愛人となり、渋谷に所帯をもうけた佐々木カ子ヨ(お葉)。その恋愛遍歴は谷崎に劣らず奔放で、離婚したたまきとの間にできた次男を連れて彦乃と京都で住んだりしている。
欧州へ渡ったものの大きな成果を持てずに結核を患って帰国、間も無く死んでしまったという。その死に際には離婚していたたまきが見舞い、その死後も療養所で名を名乗らずに手伝いをしていたという。ちょっと同情する。