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属性を超えて

以下、今日という日を終えた所感。
…どんな文脈で何を言い出しとんねん、真意を図りかねるわ!…です。(でもちょっと笑った)
それはさておき。笑

先日、属性だけで人を見るなよという、ある種、超上から目線の記事(笑)を書いたんですが、なんでそんなことを思うに至ったのかという、そのことについて少しだけ。



私は高校を卒業するまで、ずーっと"父の娘"だったのです。
父がちょっとだけ有名だったせいで、あの方の娘さん、あの方のお嬢さん。
優等生でいて当たり前、父の志を継いで然るべき存在。(そんな父の姿は今はもうないのだけど)
とにかくそんな感じでずっと見られていて、学校の先生にも進路を勝手に決められそうになったりとか色々あって。
もうそんなのに心底嫌気がさして、私のことを私としてだけ見てくれる場所に行きたくて。
そのために必死に勉強して。

大学は私のことを知る人が一人もいなくてそれが心底嬉しかった。
解放されたぞー!みたいな。笑

でも…
ここからはあくまで現在三十路も後半の、世間的には十分おばちゃんと呼ばれる人間のことばとして読み流してもらえたらありがたいのだけど…
私、結構異性から好意を持たれることが多かったんですよ。(あくまでも、〜かった、ね!)

中学のときからチラホラ階段に呼びつけられたりとか手紙もらったりとかなんやかんやしだして、高校の頃は彼氏がいたのやけど他校の子から告白されたりとかなんか色々。
大学生のときはたぶんピークで、ちょっと仲良くなったら告られる、どこで知ったんか知らんけど家の前で待ち伏せされるなんかもあり。
嫌われるよりいいだろう調子に乗るなと言われたら何も言えないのだけど…段々この人たちは一体私のなにを見てるんかなと思ってしまって。
同性の友達ともなんかちょっと変な空気になってしまったりもあったし。
そのうちちょっとでも好意を感じたらやめてくださいとばかりに冷たく接してしまったりもするようになり、そんな自分も嫌で。
(…念のためもう一度言うけど、これは十数年も昔の過去の話です。今はただのオバちゃんだから。笑)

外見特徴のみで大して中身を知ろうともしてもらえないことがしんどくて、普通に人間関係を築けないことにも疲れてきて。
そんな頃、重度の障害のある人の介護のボランティアに誘われたのです。
なんやろう?と何も知らずに行ってみたらそれがすごくおもしろくて。
このおもしろさについては話すと長くなるので今は割愛するけど、私をただの私として普通に接してもらえたのもとても居心地が良かった。
それからそこに通い出して、同じ時期に学童保育のアルバイトも始めて、障害児の療育の現場にも通ったり。
どれも全部楽しかった。すごく。とても。
結局、大学時代はずっとそういうことをして過ごしていて。

障害者とか、障害児とか、一言で語られてなんだか可哀想な大変そうなイメージでみられることがあるけど(ある一面ではもしかしたらそうかもしれないし、そこはそれぞれ捉え方の違うところだと思うけど)、そんなことはたぶんなくて。
みんな普通。みんな人間。人。
付き合ってみたらわかる。
色々違うところもあるし大変さもあるけど、その違いは、私とあなたが違うのと同じように違うだけだったりするから。
何か特別な違いがあるわけじゃないと思う。
結局、知らないだけなんだとわかる。

この頃の経験が今の自分の物の見方の土台になっているなと思う。
人はちゃんと付き合ってみないとわからないから。
関係性もね、話し合ってみて付き合ってみてちょうどいい落とし所を一緒に見つけて行ったらいいと思うのですよ。
そんなもんなんじゃないのでしょうか。
(そうは言ってもそれぞれの感情と立場と世間体と、まぁ色々あるやろうが、という声が聞こえてきそうやけども。笑)
でも、人との付き合いなんて、もっと気楽でいいと思うんやけどな。
たぶんまだ何もお互いに知らないと思うよ、私たち。(誰に言うてんねん、やけど。笑)

…そんな話。
(要約する言葉が見つからなかった。笑)

しつこいけど、現在の私はただの何の変哲もないアラフォーです。

おわり。

あ、今日のご飯は麻婆豆腐でした。
肉は少々摂りすぎてもまぁ問題ないよね。
運動もした方がいい気がします。(誰目線)



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