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途切れたその先を夢見てみる

#かなえたい夢
投稿コンテストが本日で締め切りです。


本日の23:59までだとか。


当アカウントではおなじみ僕の推し、
吉田松陰は夢についてこのような言葉を残した、とよく言われています。

夢なき者に理想なし
理想なき者に計画なし
計画なき者に実行なし
実行なき者に成功なし。
故に、夢なき者に成功なし。

世の中のウケがいいのか、とっても引用される機会が多い言葉でして。

なのになんだか段々腹が立ってくるのはなぜだろうか。(過激)

いったいどのタイミングで、どこで書いたものなのか、出典を調べてみたのです。だってあまりにもいらっとする

見当たらないんですよ。

後世になって、吉田松陰の発言とされた言葉であったように思えるんですが、どうなんです。

色んな言葉を色んな形で残していますので、もしこの言葉が本人の残したものでないのなら。
このエピソードを最初に作ってしまった人の目からみた吉田松陰像は、こういうこと言いそうに思えていたのでしょうね。

そして、その後の吉田松陰ファンたちにとっても、吉田松陰という人物がこういうことを言ってくれそうなイメージを持てたのでしょう。

そこに違和感がないからこそ、流布されて今に至る、のかもしれません。

陽明学の「知行合一」(知識と行為は一体であるべき)という学説をよく引用していたそうですので、そこから来たイメージでしょうか。

(何言ってんだよこの著書にちゃんと出てるよ本人の作だよ、ということであればどなたかぜひぜひご教示くださいませ…!僕ってば推しが好きなだけで詳しいわけでは全然ないので!)


それでちょっと思った。

僕のイメージする推し、
僕の中の吉田松陰はというと、
こういうことを言いそうなイメージにはないんですよね。


これかもしれない僕の夢。

僕の目から見える推し、吉田松陰のイメージを形にして世の中に出したい。




色々色々考えたけど、
いったんこれを僕の「かなえたい夢」として明示したい。


ここでおさらいしておきましょう。

吉田松陰とは、江戸時代後期の武士、兵学師範、思想家です。
享年は満29歳。若い。若すぎる。

あ、Wikipediaもいつも通りどうぞ。


推しとして認識し始めて、かれこれ15年ほどが経ちます。

最近はアクスタも作ってしまいました。


そんな推し、吉田松陰。
彼について言及すると、

「知らない」

と言われることがほとんど。
これはいいんです。
僕も知らないことは山ほどあるし、生きてきてる間に辿ったジャンル違ったら知らないなんて当たり前じゃないですか。だから知名度あげたいとかはないんですそれに別にマイナーじゃないぞその筋では。

ただ、なまじ歴史に詳しい方からの、

「尊敬してるんだね」

これが気に入らない。
ちがいます誤解ですやめてください尊敬してないです。


いや、先人として尊敬はしている。

先に生きている人たちが築いた世界に今の僕らはいる。

そういう大きな意味ではしてる。
むしろその大きな意味の中では、すべての生きとし生けるものを尊敬している。

でも、
特に彼の存在を、
学者として?
武士として?
思想家として?
幕末の志士として?
そういう意味での尊敬は、正直言ってしていない。

あのだって、
彼の人生破茶滅茶ですよ!?


優秀なのはもちろん認めます。

でもその優秀さを盾に、
彼の人生の破茶滅茶さを無視して、
ただの歴史上の偉人扱いするには、
勿体無いポテンシャルをかかえているとおもうんですがどうですか。

もっと面白いし、
もっとただの若造ですよ。
だって29で死んでるよ。

今の29と当時の29は違ったかもしれないけど、それでも29は29だよ、きっとバカだったよ。それにちゃんとバカだよ死ななくてもいいところで死んだよ。
僕はあれを評価する気にはとてもじゃないけどなれない。

だからといって、
吉田松陰が生きていたら新政府はもっと良いものになったなんてことも思えない。

というかその主張する方たまにいるけど、これ以上何を背負わす気だ。
生きて動けた人間がどうにかするべきでしょう、死んだ人間じゃなくて。


そういう、
あの時死ぬべき人じゃなかったとかそういうのは大嫌いだ。

大嫌いだけれど、
推しには死なないでほしい。

推しには美味しいもの食っててほしい。
推しには読みたい本読んだり、行きたいとこに行けててほしい。

大福が好きだったそうです。
そういうものを食べられた日は幸せでしたか、どうですか。


そんな風に途切れたその先を見ている。

死んだ推しキャラクターが実は生きていた世界線の二次創作をしているのに近いかもしれない。

だとしたらそれでいいから。

立派な人間であれという幻想や願望を押し付けられている死者ではなく、
破天荒でチャーミングな20代の若造の推しの姿を、それは小説なのか脚本なのかわからないけれど、形にできたらいいな。

そしてそれをただ一人で書くだけではなく、
なんらかの形で人に面白いと思ってもらえる形でメディアミックスされたら嬉しいなというのが、今の僕のかなえたい夢であります。


とりあえず明治2年時点で吉田松陰と思しき人間が生きている、
という話をずーっと構想しているのでこれを今年どうにかしたい。

どうにかするのはこの場合自分だ。

頑張って書きます。


ここ数日、かなえたい夢かあ、
と思ってずーっと考えてました。


ただ、


リンチが亡くなったり(さみしい)、


刀剣乱舞で100振り刀剣いただいたり(うれしい)、


個人的な企画というか活動というか、推し関連記事を全読破専用サブアカウント作ったり(たのしい)、


そもそも片道1時間半の距離で一人暮らししてる老親のところに公休のたびに行かざるを得なかったり(その後も買えない通販をしたので、僕は激おこである)で、


華麗に喜怒哀楽に振り回されており、気がついたら締め切り数時間前です。

なんとか間に合いましたね。

実は夢と言われて思い出すエピソードがあります。

数年前のコロナ禍中、ネット上でミュージカル脚本募集の公募を見つけた僕(正確には母が見つけた)。
締め切りまで一週間のところから書き始め応募、採用していただいたことがあるんです。
(その後、僕が作演出を担当し上演してもらいました。楽しかった)


その時に脚本募集の主催をされた方から、
「夢が叶ったね!」とか、「夢のためだもんね!」など、夢というワードで話していただいているのですが、
何かの拍子に、

「いや、べつにこれは僕の夢ではないですね」

と、返した、という。

一瞬空洞になった自分から間髪入れずに出る答えというのは、無視できないものではある。

ミュージカル脚本募集の企画を見て、確かに応募はしました。採用されたのは有り難かったです。予定外に演出もさせていただけて、大変勉強になりました。

ただそれはなんというか、
その当時の僕にとっては夢ではなかったようです。

ミュージカル脚本に応募して選ばれたら上演できたという、それは。
計画実効性のあるものが段階を経て実現する経緯にたまたま自分の作品が居合わせられただけ、という感覚が強かった。

語弊を恐れずに言うなら、
縁があったら誰かは採用はされる
(その誰かが自分かどうかはコントロール不可)
のは、当たり前であり、

それでたまたま縁があったんですね。

夢というのは「かなえたい」という意図が発生して初めて夢になるように思います。

今でも猛烈に感謝している。
脚本を書いたところで作る場がないと一人では何もできない。

好きにやっちまっていいよ!

って誰かに言ってもらえる体験、得難いものでした。

その頃ちょうど同じタイミングで、とある出版社さんから自費出版の話をいただいて。
とはいえ自費出版するお金なんてものもなく(今でもない)。
なんだけどせっかくだから話だけ伺ってみるかと思ったら、

「良い作品であっても公募で選ばれるのは宝くじに当たるようなものだから自分で出版するくらいではないといつまでも世の中に発表できないですよ」
と言われ。

ええ、根に持ってます笑笑(冗談だよお)

ああじゃあ今ちょうど宝くじ的なものに当たってるタイミングなので大丈夫です……とお断りしたりさせていただいたのも、副産物的に有り難かったかもしれない。

あれは夢ではなかったけど宝くじ当選のような体験ではありました。



みんなでひとつの大きなものを作っていくところに、僕の推しも入れてあげてほしい。


書くしかねえな、推しの途切れた道のその先を。
僕が考える最強の僕の推しを。

頑張ります。



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