福岡の水族館から東京の隅田川までの数年間
その人は、noteなどに何度か僕のことを書いてくれているが、僕からきちんと文章にしたことはなかった。コンスタントに文章を紡ぎ続けることができるその人のようにうまく書ける気は全くしないけれど、たまにはいいかなと思って書いてみる。
ちょうど今日はその人の誕生日。お誕生日おめでとう。付き合った初めの年に誕生日を1日間違えて覚えていたこと、あらためて謹んでお詫びします。
付き合った年。そう、その人とはかつての恋人のこと。出会ったのは大学生の春休みに毎年地元に帰省して働いていた短期のアルバイト。その人はちょうど高校を卒業するタイミングで入ってきたいわゆる後輩で、僕はそこで少しだけ先輩、という立場だった。バイト期間も後半に差し掛かる頃、2人は水族館でのデートを経てお付き合いすることになったわけである。ディテールは割愛するけれど、その時着ていた少しオーバーサイズのグレーのコートが素敵だな、と思いながら後姿を眺めていたことをなぜかよく覚えている。普段が倉庫作業のアルバイトで、お互いに汚れてもいい、おしゃれとは程遠い恰好しか見てなかったからかもしれない。
「言語センスが好きだ」と言ってくれたその人が彼女になったのはいいけれど、僕はその年休学することを決めていて、半年ちょっとくらいは日本にすらいないという状況。改めて振返っても、どんどん時差ばかりが開いていく中でよくもまぁ辛抱強く待っていてくれたと思う。彼女は大学に入って1年目の年、いくら本人が周りより少し精神的に大人びているといえど、海外をほっつき歩いている奴なんか振って、普通とっとと身近な人と付き合うような気もする。でも当時は、距離は離れていてもなんとなくずっと身近な存在に僕には思えていて、正直言ってあまり「この期間に別れちゃうかも」みたいなことは考えてなかった。彼女はきっともっと、色んなことに頭を悩ませてくれていたかもしれない。そうだとしたら、今更だけどやっぱりそれは申し訳ない気持ちになる。
帰国・復学してからは、彼女の大学がある九州と、僕の大学がある京都での遠距離恋愛だった。京都で散々街歩きした挙句、僕がバスチケットを無くしてかなりの距離を歩いて家まで帰ったり、福岡の場末のラブホテルから彼女は大学へ、僕は京都へ戻ったり、僕が東京で仮暮らししていた期間にふたりで(珍しく)喧嘩をしたりした。こうやって列挙してみるとなんか随分センチメンタルっぽいのでこの辺にしときます。
上記にひとつだけ付け加えるとすれば、ふたりで藤原さくらのライブを観に広島まで行った日をチョイスしたい。それは本当に特別な夜だった。ライブが終わって、広島の街で飲み歩いて、河原でまたお酒を飲んだ。予約したホテルの部屋は控えめに言ってオンボロだったけど、全く気にならないくらいに。そして、この先の彼女との関係性がどうであれ、これだけはずっと素敵で温かい思い出であり続けるという確信をその場で持てるくらいに。
7年という時間のすべてを振り返るにはちょっと話が長くなりすぎる。端的に言えば、お付き合いして数年が経つ頃に別れを切り出し、数年後にまた復縁したものの改めて別れることになったわけだ。そのどちらも、完全に非は僕にあって、ひたすらに振り回し続けてしまったことに関して、何も言い訳することはできない。
今はお互いに大切な相手がいて、それぞれの人生はパートナーとして重なることはなく進んでいる。僕が言える立場でもないのだけれど、彼女が幸せであることを本当に祈っている。随分ひどい別れ方を2回もしてしまったのに、それでも友人として関わり続けてくれているのは、僕にとっては、彼女の寛大さという美徳ゆえだと思っている。(彼女はそれを寛大さと呼ぶことに違和感を覚えるかもしれないけど)
あなたのそのみずみずしい感性や言葉遣いは相変わらず好きだし、この世知辛い日常にあってもそれを保ち、育み続けているのは端的に尊敬もしている。こういうのを、小さくても偉大な達成だと言うのかもしれない。
人格形成のとても大事な部分を何年にも渡ってあなたに明け渡し続けていたので、僕という人格には自ずと彼女的なものが内包されているはずだ。少し僭越な物言いが許されるなら、あなたも多分似たようなものだと思っている。それは、関係性の如何に関わることではなく、もっと根本的な話として。どこに引っ越しても自分の本棚に並び続ける本のようで、関わり方に変化があったとしても、ずっとそばに感覚と言ってもいいかもしれない。
かつての恋人である彼女とは、今はもう間違いなくいち友人なのだけれど、あり得たかもしれないふたりの未来を想像することはある。ずっと遠距離でお付き合いをしていたのに、友人に戻った今が一番近くに住んでいるという事実も相まって、とても不思議な感覚でいる。去年東京で会った時に、上野~隅田川沿いを延々散歩したときにそれを殊更感じた。
「この人と出会えたことにわたしはとっても感謝している」と彼女は言ってくれた。全く同じように僕も出会えたことに深く感謝していて、さらに言えば、感謝していてくれることをとても嬉しく思っている。(それにしても、「友人」という言葉に込められるグラデーションはとてもきめ細かく幅が広い)
ちなみに、お付き合いしたころに彼女が贈ってくれた、よしもとばななの「キッチン」は、日本で海沿いの街に住んでいた時も、海外で働いていた時のアパートメントにも、引っ越しの都合で本を厳選した今のマンションの棚にも変わらず並んでいる。少し読み返す期間が空いたとしても、それはきちんと、並び続けるはずだ。
改めて、お誕生日おめでとう。
溢れんばかりの今の幸せをちゃんと抱き止めて、今年も佳い一年を過ごしてください。