11年後

父が他界して今日で11年になる。
2013年の3月21日、彼は50歳の誕生日を迎えて、翌日にはあちらへ旅立っていった。なんとか50歳までは生きたぞ、じゃあな。とでも言うように。

当時僕は大学1回生の春休みで、京都から実家の福岡に帰ってきていた。遠く離れている状態で別れを迎えずに済んだことは幸運だったと思う。父は春吉のジャズバーでバーテンダーをやっていて、3/21は偶然にも店のライブイベントと重なっていた。僕はその手伝いを頼まれていて、日中の短期バイトを終えて、天神近くのジャズクラブ、JAZZ IN NEW COMBOに向かう。
大した手伝いをしたわけではない。常連のお客さんを迎えたり、チケットをもぎったりといった程度である。今思えば、手伝いという名目でライブに呼んでくれたのか。あるいは、多少人手に余裕があればいいや、程度で声をかけただけかもしれない。このあたりの真意はよくわからない。ただ、いずれにせよ、手伝いを頼まれたことが随分うれしかったことを覚えている。NEW COMBOはほぼ満員で、ライブも盛況。実際にどんな演奏だったかはほとんど覚えていないけれど、親密な空気だった。

翌日の夕方、バイトを終えて飲み会に行く道中に、帰宅した母から電話が入り、父が家で倒れていることを知らされた。父は自宅のリビングで亡くなっていた。きっと室内にいた犬だけは彼を看取ってくれたんだろう。そして不安だったろう。自宅での死亡ということもあり警察が来て簡単な聴取が行われたのち、バタバタと葬儀場へ向かう準備をした。父は生前から「死んだら遺灰は燃えるゴミで出してくれ」とのたまっていたが、当然それは無理な相談である。

お通夜と葬式のことはあまり覚えていないけれど、暗い雰囲気になるのが嫌で、CDプレーヤーと父が好きだったビル・エヴァンズのCDを数枚、加えて母が好きなさだまさしのCDを持って行った。会場兼控室を音楽で満たして、もの寂しい空間にしたくなかった。ジャズの名盤中の名盤「Waltz for Debby」にはこの時初めて接して、今でもとても大切なアルバムである。うまく言い表せないけれど、繊細で緊密で少し哀しげなビル・エヴァンズの演奏は、結果としてどんな曲よりも葬儀の場に相応しい音楽に思えた。
ちなみに、遺影の写真はそれっぽいものにするのが嫌で、トレーナー姿で犬の散歩をしているスナップを選んだ。見ればわかるがおよそ遺影とは思えないカジュアルな写真だし、写っている犬は当時も今も存命だ。遺影のカジュアルさの代わりに、最期に着せる服はバーテンダーとしての仕事着にした。まぁきっと本望だったろう。
そんな通夜と葬儀には、小さな家族葬の会場だったにも関わらず多くの人たちが参列してくれた。50歳とまだ若かったこともあるが、バーのお客さんや山笠の関係者の方々などなど。急遽会場を拡張する羽目になり、心の中で少し笑ってしまった。
そうしてすべてを終えて京都に帰ったのは4月に入ってからだった。

うまく言い表せないのだけど、この人は随分といい季節に逝ったな、と毎年思う。冬が終わって暖かくなるころ、大体毎年、彼の命日の空はきれいに晴れている。感傷が過ぎるのかもしれないが、やはり3月のこの時期に空を見上げがちになるのは、おそらく今後も変わらないんだろう。


久しぶり。
日々色々ある気もするんだけど、ぼちぼち生きてる。
たまには酒でも飲みたいね。


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