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noteを書くことは私にとってのグリーフケアかもしれません

このnoteを始めた時から何度も書いているからまたか〜という感じですが、何事につけてもやはり夫がなくなったことはいつまで経っても寂しいし悲しいです

SmartNewsを読んでいると近場の行楽シーズンに行くと良さそうな所が出てきたり、テレビでもそんな風景が出てきます そうするとそんなところに毎週のように出かけていた、まだ小さかった子供と若かった私達の幸せだった姿が走馬灯のように思い浮かんできます
夫は行動的で、食べたいもの、したい事はすぐに実行する人でいろんなところに出かけました そうやって出かけた自然の中で感じた風や匂いそんな数々のことを思い出します 
そして、もし夫が生きていたらSmartNewsやテレビで見たところにはすぐに!明日にでも出かけよう!って楽しい毎日があったのかもと思ったり、思っても仕方ないことかもしれないけれど、もっと一緒にまだまだ楽しく過ごしたかったなと考えてしまいます
自分なりの楽しみを見つけて生きていこうとは思うもののそんな思いからは逃れられないのです
庭の落ち葉を掃けば一緒に掃いて葉っぱをたくさん集めて芋を焼いたりしたことを思い出します それをしていた頃はそれらは普通の事で面白いとか楽しいとかそんな感情はあったようななかったような気もするのに、もうそんな事もあの人とはできないのだと考えてしまうとそれらも凄く楽しくて幸せなことだったと寂しくなってしまいます 

大切な家族を失うというのはそういうことなのかもしれません

先日昨年のボランティアの皆さんと一年経ってのお疲れさま会がありました
私より少し年上の方とお話をする機会もあったのですが、ご主人を定年間際に亡くされた方やご自身も癌で数回の再発を乗り越えて今を感謝して生きてる方、お子さんを亡くされてその時は一切の感情を無くしたという方、奥様を亡くされ息子夫婦と暮らしているけれど孤独を感じてるという方
リアルな私の周りの同年代では分かり合えないことも共感しあえるグリーフケアの場のようでもありました
そんな悲しみや寂しさを抱えながらも
皆さん逞しく生きていらっしゃる
なんだか生きる勇気と元気を貰えました

今ある幸せに感謝の気持ちを持てば幸せを感じることができるのかもしれませんね
お疲れさま会は楽しいだけではなくて私の救いや癒しにもなる会でした

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