「自閉のなかはパフォーマンス・ステージ」佐々木啓一(1991)

「K」を保護者のような母性的な存在として「私」と「K」二人の関係に言及した論文。

主人公とKとの関係は、一見男女の関係に見えて、実は母子の関係でしかありえないのである。
自己愛を許容してくれるK。

Kという存在は、主人公の演じる自己劇化のための媒体であり、その役割を真摯に課せる相手はKしかいないのである。
太宰はそうした女性を、自己劇化のために、自己の好みにあわせて形象化しているのである。それは「役者になれば、よかった」という主人公の暗示的な表現の持つナルシスティックな独自な演技に十分応える女性として設定されているのである。

Kの交通事故
交通事故を通過することで、主人公は、自閉の世界のなかで、一層孤独の影を深くし、自己愛的な傾向の演戯を強めていくのである。

出典論文
佐々木啓一「『秋風記』自閉のなかはパフォーマンス・ステージ」/博士論文/立命館大学


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